新日本風土記「松本清張 昭和の旅」②日本の黒い霧

6月5日のこのブログにNHKBSの新日本風土記で放送された「松本清張 昭和の旅」の中から「天城越え」を中心に書いてみた。
今回は清張さんが後半生で力を入れた現代史に題材を得た
「日本の黒い霧」を読み直し書かせて貰うことにした。

戦後の有る時期まで日本では不可解な事件が立て続けに起こり、その事についての論争や裁判は私の青年期迄尾を引いて、マスコミや世間を長い間騒がせていた記憶がある。

これらの事件から戦後復興の起点ともなった朝鮮戦争まで、清張さんは当時日本を占領統治していたGHQ(連合国軍最高司令部)の対共産圏政策や内部対立などから引き起こされたものだという趣旨のもとで書かれている

この点について清張さんは本の終わりに〈なぜ「日本の黒い霧」を書いたか~あとがきに代えて~〉のなかで、
「最初から反米的な意識で試みたのではなく、それぞれの事件を追及してみて帰納的にそうなった」と書かれている。

「日本の黒い霧」の中で最初に書かれてある事件と終わりに書かれてある朝鮮戦争の2つの事について自分なりの感想を書いておきたい。

下山事件(昭和24年当時の下山国鉄総裁の鉄道変死事件)

・当時大量の職員首切りに直面していた国鉄総裁の死亡事件で、自殺、労組員左翼による殺害、米国機関の謀略殺人の3説が入り交じっていたが、清張さんは当然のごとく謀略殺人説を取られて説明されている。

これについては清張さんの説明内容は充分私には説得力有るものと受け止めることが出来た。

朝鮮戦争(昭和25年(1950)6月 38度線国境を越えて南北朝鮮が開戦、南は米軍中心の国連軍、北には中国軍が加わり大規模戦争に発展、昭和28年(1953)7月休戦協定締結)

・第二次大戦後、東西両陣営の対決の場になっていた朝鮮でどちらが先に引き金を引き、38度線を越えたかだが、清張さんはこれも先に手を出したのは米軍を主体にした南側だと推論されている。

これについては私は清張さんの説明に全く否定的な見方である。開戦当初北朝鮮軍は破竹の勢いで南下、米軍、南朝鮮軍は半島の南端である釜山(プサン)の一角に追い詰められ、海に追い落とされる直前での京城(ソウル)の近郊仁川(インチョン)への国連軍逆上陸作戦で救われた。

開戦直後の戦況を逐次追えば、北が先に手を出したことは自明なことで、清張さんの説明には結論ありきの無理があると思われる。

清張さんの小説は社会の底辺や弱者にも目を向けた素晴らしいものばかりだが、歴史に題材を得たノンフィクションは、史料に基づく事実関係と推理に基づく内容が分離出来ていないように見受けられる。

◎近くの介護施設の庭に有るこれは、子供の頃中の実を柔らかくして取り出して遊んだホオズキのような気がする。
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