カルタゴの英雄ハンニバル③/鯉の産卵

3月25日の続き(最終回)

北アフリカカルタゴ本国に戻ったハンニバルとローマ軍スキピオは休戦交渉をはじめるも決裂、その時の各々の言葉が記録に残されている。

ハンニバル44歳「最も幸福な選択はローマがイタリア以外に手を伸ばさず、カルタゴがアフリカより外へ出て行かなかった事だったろう」
スキピオ32歳「この戦争を始めたのはローマでなくカルタゴであったことは、ハンニバルよあなたが誰より知っている事実だ」

北アフリカ・ザマで最終決戦が行われる。
カルタゴ軍 歩兵50000、騎兵3000、戦象80
・ローマ軍 歩兵34000、騎兵8700

スキピオはこの戦いまでにハンニバルの戦術を徹底的に研究した。

先ずカルタゴ軍の戦象部隊が突進してくるのを、歩兵が道をあけて素通りさせて無力化し殺りく。
優勢なカルタゴ歩兵をローマ歩兵が辛うじて翼を拡げる形で支え続けた。
そこへ敵騎兵を蹴散らした優勢なローマ騎兵がカルタゴ軍を左右から包囲にかかり、カルタゴ軍にパニックを生じさせ殲滅した。

カンナエの戦い」を逆手に取ったスキピオの戦術でローマ軍が完勝した。

戦後の条約でカルタゴは海外領土や海軍力を失い、地中海をローマに明け渡しその後の滅亡へとつながる。
最大の敵カルタゴに勝ったローマは世界帝国への道を歩みはじめる。
パックス・ロマーナ(ローマによる平和)への第一歩である。

ハンニバルはこの後も母国再建の指揮を取るが、反対派の台頭やローマの追及で国外に亡命、逃亡を経て自殺する。

ハンニバルの言葉から
「いかなる超大国も長期にわたって安泰であり続けることは出来ない、国外に敵を持たなくなっても国内に敵を持つようになる」
ーー現代の国際情勢でも充分通用している事がわかる。

☆ザプロファイラーの番組内でイタリア在住の漫画家・ヤマザキマリさんがハンニバルについて語った言葉から
「ローマに恐れられたのは自らが生きている証だったのだろうか、詳しく見ていくとこっちが疲弊してしまい、なんと云う人生かと思ってしまう」
ーーここまで劇的な人生であったことをハンニバル自身はどう捉えていたのだろうか?

◎歩きの途中大きな水音がしたのでルート沿いの平野川を見下ろすと、体長50~60cm位の鯉が集団で大暴れ。
日記を見返すと去年4月5日のこの日記に同じことを書いている。
これは鯉の産卵現象のようなので、これから見ると鯉は毎年ほぼ同じ時季に産卵をしていることがよく分かる。
自然の年間サイクルは変わらず繰り返されている。
f:id:kfujiiasa:20210327205544j:plain
f:id:kfujiiasa:20210327205624j:plain
f:id:kfujiiasa:20210327205656j:plain
f:id:kfujiiasa:20210327210050j:plain