幕末長州藩の海防僧・月性の漢詩

幕末に周防国(現在の山口県東部)熊毛郡に生まれた僧月性(げっしょう)は外国からの侵略に対する海防の必要性を長州藩内中枢や松下村塾吉田松陰や塾生等に説いて長州藩の幕末、維新に於ける政策活動に影響を与えた人物だが、先ほど読み終えた「幕末維新の漢詩」林田愼之助著 筑摩書房刊で、広く世の中に知られている以下の詩の作者だと始めて知ることになった。
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「男子志を立てて郷関を出(い)ず、
学の若し成る無くんば復(ま)た還らず、
骨を埋むるに何ぞ期せん墳墓の地、
人間(じんかん)到る処青山(せいざん)あり、」

この最後の行、結句は結構独り歩きしており、知る人は多いに違いない。
〈世の中の到る処に、骨をうずめるに相応しい青山がある〉

月性27歳の時、大阪の篠崎小竹(しのざきしょうちく)の梅花塾に学ぶため故郷を出立する際に詠んだ詩とのことである。
学問を身に付けるために旅立つ、郷土の大先輩の覚悟が行間に溢れ出ている。

実はこの本を読んで、月性が青年期学んだ篠崎小竹とはどんな人物か気になり調べたところ、この時代大阪で最も知られた儒学者、書家であったことがわかったが、何とこの過程で思わぬ偶然に出会うことができた。

篠崎小竹の墓は、大阪北区天満の天徳寺にあると言うことで、
ここ迄来てエッと思ってしまった。

この天満の天徳寺は去年5月19日のこの日記に「厚狭毛利家⑤毛利元康大阪の墓を訪ねて」に書いた厚狭毛利家始祖、毛利元康の墓所に他ならない。
去年5月は篠崎小竹のことは全く知らずに天徳寺を訪ねており残念ながら篠崎小竹の墓を見ることは無かったが、改めて不思議な縁を感じている。

歴史を追いかけているとこのような偶然に時折出会える楽しみがある。

◎昨日はホームコースで何時ものメンバーに初めての方一人を加え4名でラウンド、曇り空でこの季節ではコンディションは上々ながら成績は最近のワースト記録、48、51、計99、目標未達成で、特にパッティングを大いに反省。