中断中のひとりごと④古地図を片手にまちを歩こう

このブログを抜粋して本にするため故郷厚狭に帰省し写真を撮り直そうと思っていたところ、ネットの情報で、厚狭の旧跡を古地図を片手に巡っていくイベントを知り、訪ねる箇所が私が写真を撮りたい箇所と重なることが分かり、申し込んで参加してきた。

ベースになっている古地図は長州萩藩の6代目藩主が長州藩内を御国廻りするため作成された絵図で「御国廻御行程記」と呼ばれているもの。
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(私の生まれた村はこの図の中央に太字で書かれている鴨庄)

このイベントは山口県全域に島根県益田市を加え34コースが一斉に2020年10月~21年3月の間開催されるもので私はその中のNo20厚狭コースに参加したことになる。

申し込みが遅かったにも関わらず日程調整頂いた山陽小野田観光協会の担当者様、一人参加にもかかわらず丁寧に案内頂いた
山陽小野田語り部の会の皆様本当にありがとうございました。

特に今回のコースは厚狭の南側が中心で、北側山手に生まれた私にとって初めての場所も多く、史料のみで理解していたことが実際にその場所に立てて、より知識が深まったような気がした。

1、旧山陽道道標
風化もあり見え難いがなぞると「左 はぶ 下の(関)」と記されている。ちなみに「はぶ」は厚狭の西隣の「埴生」地区、「下の関」は現在の下関市を示す。
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2、貞源寺 桑原家墓
適塾塾生・桑原玄阜の墓標を探したが一族の墓をまとめられたらしく多くの墓石が礎石の一部にされており本人のものは分からなかった。こういう墓のまとめ方を初めて見た。
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3、旧山下記念図書館 
私の子供時代の原点とも言うべき場所だが荒れ果てており誠に残念です。
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4、厚狭毛利家居館跡
古い標識のみ残る。毛利一門第三席と言う名門ながら、家が絶えるとはこういう事だろうか。
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5、惣社八幡宮
大内氏時代からの由緒、箱田氏、毛利氏にも所縁がある。
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6、妙徳寺本堂
厚狭毛利家初代・元康所縁と伝わる。
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7、下津 厚狭川と桜川の合流点付近。
この辺りが古い厚狭川水運の拠点で倉庫もあり、年貢米の保管や積み出しなどで賑わった所。
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8、厚狭毛利家菩提寺・洞玄寺
寺号は初代元康の法名に由来する。廃寺事件など幾多の歴史がある。
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9、洞玄寺境内、室町時代の武将・今川了俊の歌碑
厚狭の名が出てくる最古の和歌と言われる。
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10、洞玄寺の奥、急な古い石段をかなり登った処、厚狭毛利家歴代の墓所
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11、同所、女子教育の先駆者毛利勅子墓、夫の厚狭毛利家9代当主・元美の傍らにある。
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12、下津方向から見る厚狭の象徴・松嶽山
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13、寝太郎荒神
厚狭川に堰を造って用水路から灌漑事業を行ったとされる伝説の人・寝太郎を祀る。
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14、厚狭の狼煙(のろし)山であった日の峯山
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