カルタゴの英雄ハンニバル①

NHKBSの番組に「ザプロファイラー~夢と野望の人生」
というドキュメンタリー番組があり、歴史に名を残した人物に焦点を当て、文献や映像資料などをもとに、ゲストのトークを交えその人物に迫って行く番組で、進行役は俳優の岡田准一さんが担当している。

私は番組表の人物名を見て10回に1度位の頻度で録画して観ている。
今回は「ローマをぶっ壊せ!ハンニバル将軍」というテーマでゲストは「テルマエロマエ」で一躍有名になった漫画家・ヤマザキマリさん、元ラグビー日本代表主将・廣瀬俊朗さん、社会科教員免許を持つタレント・渡辺早織さん。

私がハンニバルという名を初めて聞いた時期は定かでないが、その輪郭をある程度理解したのはイタリア在住作家・塩野七生さんの大著「ローマ人の物語」を10年以上前に読んだ時であり、塩野さんがその人物像を敬意を込めて書いていたのが記憶に残っている。
本棚から探しだした「ローマ人の物語ハンニバル戦記」
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紀元前3世紀イタリア半島を統一した後、さらに海外進出を企てたローマは地中海の制海権と商権を抑えていたフェニキア人の植民国家カルタゴ(現在の北アフリカチュニジア付近)と死活闘争を行う。

当時のローマは同盟国を加えると100万人近い動員能力のある軍事国家で、一方カルタゴの基盤は通商国家で軍には傭兵も多く、圧倒的に不利な状況にあった。

第一次ポエニ(ポエニとはフェニキア人のこと)戦役と呼ばれる戦いはローマが勝利、その責任でカルタゴ司令官であったハンニバルの父は、イベリア半島(現在のスペイン)で植民地軍(遠征軍)の司令官として左遷、これに幼いハンニバルも同行、父の死後ハンニバルは26歳で植民地軍を率いる事になりローマに対する復讐戦を開始する、これが史上有名な第二次ポエニ戦役である。

西洋世界では古代史の英雄として、ギリシアマケドニアアレキサンダー、ローマのカエサル(シーザー)、次いでハンニバルがあげられる。

ハンニバルにはイベリア半島からローマへ向かう道として
①地中海を行く
②陸路を行く(イベリア半島のつけ根にあるピレネー山脈イタリア半島の付け根のアルプス山脈を越えるルート)
の選択があったが①はローマの同盟国を通過する必要があり、ローマ側が想定していない奇襲策②を選択して出発する。兵力109000人、象30頭。

ピレネーを越え、ガリア人(森で暮らす民)と協定を結び、大河を渡り、先遣隊が切り開いた冬のアルプスを遂に越える。
イタリアを目前にした残存兵力は26000人、象は3頭。これが世界史に残る象と一緒のアルプス越え行軍。

前段の説明だけで字数が尽きました、以下次回に。

◎小学校の垣根から顔出し、これはアネモネのようだが。
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女優・ミムラさん「善人役と悪人役」

NHK大河ドラマ「青天を衝け」を観ていると久しぶりに女優・美村理江さんに出会った。
一橋慶喜の養祖母に当たる「徳信院」役で、まだ出番がわずかで慶喜渋沢栄一との関係がどうなるのか楽しみにしている。

美村さんはもともと「ミムラ」という芸名で記憶していたが、時折色々な活字媒体でエッセイなども見かけ芯がある人だなという印象があった。いつ頃から「美村理江」になったのだろうか、「ミムラ」はなかなか味のある名前だったのだが。

今日、コメダ珈琲店で読んだ産経新聞の生活欄のコラムで美村さんの面白い「善人役と悪人役」というエッセイが載っていた、概略は以下の内容。

・人の善悪を考えるとき性善説性悪説に分かれる、私は善良に生きたいと思って常々行動しているが性悪説を信じている。

・人間が邪悪な生き物と言いたいのではなく、生に執着する生き物は利己的になるのが基本であるが、人間はそれを抑えて生きなければならない。

・そんな見方で演技を観ると善人の演じる善人役は面白味に欠けあまり善人でない人の善人役も興味が湧かない。
しかし善人の演じる悪人役となると大輪の花が開くような魅力を放つことがある。

性悪説をもとに考えると動物的利己的部分を抑えて暮らしている人間は、
常に芝居をしており本音を隠しているが、上演中の悪は芝居でない部分がある。

・そんなこんなで悪人役の称賛を受けている場合特に注意深く見てしまう。

◎これを読んでとても共感を覚えたのだが、時折TVや活字で見かけた「ミムラ」さんがなぜ私の記憶に残っていたかその理由が分かった気もしてきた。

◎善人が演じる悪人役で思い出すのが北野武監督の映画「アウトレイジ」シリーズで、普段は善人役が多い西田敏行さん、三浦友和さん、小日向文也さん等々を全て悪役に振り付け、迫真性臨場性の高いバイオレンスシーンの連続で、観る方も緊張した記憶が「ミムラ」さんの文章でよみがえってきた。

◎道端で見かけたこれは、図鑑を見るとキジカクシ科(ユリ科)の「ムスカリ」と思うのだが。
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株価のなかで失われている企業業績との相関性

一般的に株価は経済の基礎的条件(ファンダメンタルズ)を反映し、その先行指標にもなると言われている。

日経新聞の投資情報欄に掲載される「一目均衡(いちもくきんこう)」というコラムにこの一般的に信じられてきた株に対する見方を否定する衝撃的な論文の紹介が成されている。
証券アナリストジャーナル」に掲載された野村アセットマネジメントの複数マネージャーの手になる「バリュー投資の再考」と題するものである。

その骨子は
過去40年の日米株式市場のデータを分析すると、特に2010年以降現在までの約10年間は

「将来の利益を正確に予想できたと仮定しても、その業績は株価に反映されず、市場の持つ価格発見機能は壊れており、銘柄選定を通じてその業績を予測する投資家の努力は結果的に無駄に終わる」

すなわち投資の基本的前提が否定された10年間になっている。

その要因は
・世界経済の成長が止まり金融緩和が行われるなかで高い成長が見込まれる一握りのテック企業・グロース(成長)株に緩和マネーが集中、景気と業績の連動性の高いバリュー(割安)株が見向きもされなくなった。

・マネーは個別企業の業績を吟味するアクティブ運用から指数構成銘柄を一括購入する低コストのパッシブ運用にシフトしている。

・現行の会計システムだけでは企業価値を捕捉できなくなり、無形資産例えば知的財産などが成長力の鍵になってきた。

コラムでは、このまま行くと産業へのリスクマネーの効率的な配分という株式市場の大事な役割が損なわれると危惧している。

論文の詳細を見たわけでは無いが、コラムの解説を読む限り最近の株式市場を見渡したときの、私自身の肌感覚ととてもピッタリ来る気がして、この日記に書き留めておく気になった。

この論文の要旨と異なり、直近の日米の株式市場では長い間放置されてきた割安・バリュー株の一部に反転上昇の兆しが見られるが、この行く末について少しばかり興味が増してきた。

◎ジャガイモ成長記①
ジャガイモを植え付けて17日目、植え付け直後雨が続いたので少し心配していたが、ようやく何ヵ所かで芽が地中から顔を出しかけてきた、ひと安心。
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送電線を守る人

いつもの朝の「歩き」で行くコメダ珈琲店への道筋には関西電力の八尾変電所がある。
従ってこの周辺には変電所とINとOUTの関係になる送電線と鉄塔が結構な数で林立している。
八尾変電所
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珈琲店の帰り道、住宅傍に立っている鉄塔下でメンテナンス作業の準備が始まっており、あまり見たこともない様子なので興味が湧き少し離れたところから一連の動きを立ち止まって見た。

作業員は5名で内3名が用具を入れた肩掛けバッグ、危険作業と書いた赤旗、命綱を含むロープ類をフル装備、念入りに打ち合わせを行っている。

2名は地上でのフォロー要員で待機したまま、3名が鉄塔にある足場を使い登って行く。
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3層になっている送電線の各々にとり付く。
その各々の場所で道具類を固定、赤旗を掲げ、お互いの位置をロープで連結している。
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各々の階層の送電線と碍子(がいし)、連結部を送電線に跨がってチェックが始まった。
多分この作業の前に送電は停められているのだろう。
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地上から数十メートルの高さと思われるが、高圧電線と高さから来る2重の危険な状況下、プロの仕事としか言いようがなく頭が下がる。
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この作業を見ながらつくづくと考えたのだが、いま電力の自由化などと言って机上の論理だけで電力が安く供給出来
るような受け止めが一部にある。
しかし発電、送電事業はこの鉄塔のメンテナンスに象徴される地道な作業の積み重ねや、基幹技術の蓄積で成り立つものであり、このような基礎部分を忘れた表面的なものだけに目を奪われると大きな過ちとなるような気がしている。

個人的な事だが、私は電力会社のガス、ガス会社の電力といったものには当面お願いしないことを基本にしている。このメンテナンス作業を見てさらにその考えを強くした。

「歴史の教訓・失敗の本質と国家戦略」

兼原信克(かねはらのぶかつ)著「歴史の教訓・失敗の本質と国家戦略」新潮新書 を読み終えた。
著者は国家安全保障会議を立ち上げた外務官僚で2019年に退官された。
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著者は前書きで執筆の狙いの一端をこう書いている。
「日本は何を間違えたのか」自由、平等、民主主義、法の支配といった普遍的な価値観から20世紀の日本の歴史を見た場合どうしても発せざるを得ないのは、「なぜ日本の外交は誤ったのか。19世紀の弱肉強食の世界が20世紀には普遍的価値観に基づく国際秩序へと変貌していくことに、なぜ気付かなかったのか」という問いである。

太平洋戦争の敗戦へと突き進む歴史のプロセスを振り返りながら、日本が道を誤った最大の原因は軍事的な指揮指導権すなわち統帥権が政府から独立してしまい政府の統制が効かなくなる制度上の欠陥に有ったと指摘する。

この統帥権独立問題は過去、作家・司馬遼太郎さん、ジャーナリストで昭和史研究家・半藤一利さんもあらゆる場面で繰り返し指摘しておりリベラルな近代史研究者の共通認識になっている。

この振り返りのなかで著者は山本五十六連合艦隊司令長官が立案実行した「真珠湾攻撃」を評して「戦術的には大成功、戦略的に大失敗」と述べている。

戦術的に大成功は
空母機動部隊を世界で初めて戦略運用しアメリカ太平洋艦隊を壊滅させた。
戦略的大失敗は
当時の米国人は中立的志向が強く欧州への参戦を嫌がっていたがこれをきっかけに米国は連合国として挙国一致になり参戦、国力を総力戦に振り向け連合国勝利の決定打となった。

私もこの見解に賛同する、米国の底辺にある孤立主義をもっと考慮してもよかったのではないかと以前から考えている。
真珠湾攻撃をもっとも喜んだのはイギリスのチャーチルソ連スターリン、中国の蒋介石だという見解はうなずけるものがある。

米国の石油対日禁輸が開戦の直接的引き金といえるが、このときに戦略的忍耐が出来なかったのかが悔やまれる。

尚、この本の前書きにある〈世界の潮流・価値観が変わったのになぜ日本は気がつかなかったのか?〉という問いは現在の日本を取り巻く状況でも「持続可能社会」「ジェンダー」「安全保障」等々充分考えるべき事かもしれない。

◎なかなか花の名前が分かりません
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ゴルフの出会いと振り返り

昨日はホームコースで70歳以上が参加できるグランドシニア競技があり、いつものメンバーと一緒に参加してきた。
前日までの雨もあがり、春らしい陽気のベストコンディションでコロナ対応の良いひとときを過ごすことが出来た。

70歳以上が集まるのでパットを練習するグリーンでは、以前「早朝会」と名前のついたグループでご一緒した顔見知りのお二人と再会し、懐かしい昔話などが出来た。
ついつい以前共にラウンドした人たちの近況などが話題になり、その頃の記憶がよみがえって来る。

私は今のゴルフコースにお世話になって20年以上になると思うが、はじめの頃日曜日で晴れの天気だと朝一番にゴルフ場に予約なしで出掛けて行き、フロント前に集まったメンバーの中に入れて貰いラウンドしていた。
そのグループが自然に「早朝会」と呼ばれ時おりコンペもしていた。

その内親しくなった人たちと組んで週一で予約プレーするようになったが、皆さん私と同等若しくは以上の年齢で、加齢や病気で一人ずつ順にリタイアされるのも見てきた。

ゴルフは90歳でも自分のペースで楽しくラウンドされる方が居られるものの、やはり体力が要ることに変わり無くいつか限界がくる。
春の陽気の中でプレーが出来る「いま」に感謝しつつ、自分の番がくるまで「ストレッチ」と「歩き」と「素振り」を欠かさず、前向きに頑張ろうと思っている。

昨日の結果は午前45、午後46、計91で目標に2打オーバー、近い距離のアプローチに課題あり少し反省。

・コース内の梅の花
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・打ち下ろしのショートホール、右の池が気になる。
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・コース高台から金剛山(右)と葛城山(左)を見る。
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・コース高台からクラブハウス越しに市街地方向を見る。
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早春賦(そうしゅんふ)

昨日までとはうって変わり今日は春先らしい晴天に恵まれ心持ちも明るくなるような気がしている。
この時期になるとつい思い出してしまう歌が2つある。

一つは竹内まりやさんの「人生の扉」
♪︎♪︎満開の桜や色づく山の紅葉を
  この先いったい何度見ることになるだろう♪︎♪︎
「今年も桜を見ることが出来そうだ」と少し待ち遠しい気持ちが募る。

もう一つが唱歌の「早春賦」で作詞吉丸一昌(よしまるかずまさ)、作曲中田章(なかたあきら)。
特に詞がとても素晴らしい気がする。

明らかに北国や雪国を詠った内容になっているが、作者は長野県安曇野(あずみの)をイメージして作ったとの事らしい。出身は大分県であり南国出身者が書いた詞とは思えないような春が待ち遠しい感じが出ている。

特に私が好きなのは3番の歌詞

♪︎♪︎春と聞かねば 知らでありしを、
  聞けば急(せ)かるる 胸の想いを
  如何にせよとの この頃か
  如何にせよとの この頃か♪︎♪︎

私の解釈では農家の人の心情を詠ったものではないかと思うのだが。
長い間雪に閉ざされていて身近に迫った春を待つ焦りや期待が素直に感じられる。

雪国の農家の人には及びもつかないが、私も農家の生まれで、今でもジャガイモを植えるときなど、天候をよみながら今植えないと収穫が遅れて梅雨に入る等々と、焦ったりすることがありこの詞に共感する心持ちを多分に持っている。

◎歩きで出会った花
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