小笠原弘幸著「オスマン帝国英傑列伝」幻冬舎新書刊を読み終えた。
オスマン(トルコ)帝国は13世紀末に産声をあげて領土を拡大、数世紀のうちにイスラム世界の覇者となり、16世紀には世界で最も強大な国家となるが、18世紀末よりヨーロッパ列強の圧迫を受け、1922年同盟国側に立って参戦した第一次大戦の敗戦を契機に滅亡する。
著者はオスマン帝国史、トルコ共和国史の専門家で副題が「600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち」とあるように帝国の長い歴史の中から選ばれた10人の人物伝である。
10人に触れだすときりがないので少し皮肉かもしれないが、10人の最後に登場しオスマン帝国に最後のとどめを刺し、現在迄続くトルコ共和国を建国し現在でも国民の敬愛の対象になっている「ムスタファ・ケマル」について少し書いておきたい。
最近国際ニュースで存在感を増すトルコ共和国はイスラム圏の地域大国であり、明治23年トルコ軍艦・エルトゥールル号の紀州串本沖遭難事件救助活動以来の親日国で、イラン・イラク戦争の折取り残された在留日本人救出のために隣国トルコから救援機を出して貰ったような繋がりが存在する。
(余談だがこの本を読むとオスマン帝国の創始者・オスマン1世の父親の名はエルトゥールルとなっており軍艦の名と同じである。調べてみると軍艦の名はやはりこの父親の名から採られた⁷ことがわかった)
ケマルは陸軍幼年学校から陸軍大学を経て軍人の道を歩むが数学が得意で、優れた軍人は歴史や詩などの教養が必要と考えていたとされる。
第一次大戦勃発後英国など連合軍がイスタンブールの攻略を目指したガリポリの戦いで連合軍を撤退に追い込むなどした戦功でケマルは英雄視される。
大戦が敗戦で終結した後、帝国の分割に反対して独立戦争を指揮、ギリシャ、アルメニアなど周辺国からの侵攻も撃退し、1922年10月国民議会の宣言でオスマン帝国は滅亡、現在に至るトルコ共和国が成立、ケマルは初代大統領に就任する。
1934年ケマルは父なるトルコ人の意味を持つ「アタチュルク」という姓を議会から与えられ、現在ではこの姓が一般に知られ「ムスタファ・ケマル・アタチュルク」と呼ばれる。
ケマルが行った改革のなかで最も影響の大きかったのがイスラム教とどう向き合うかという課題で、西洋的な世俗国家を目指すとされ、イスラム教に由来する様々な制度が廃止されたことにより、現在のニュース映像を見ても周辺のイスラム国家とは違う風俗が垣間見える。
しかしイスラム教の文化的な影響は深く地域に根差しておりまた近年政治的な影響も少し復活する兆しも各種情報から見てとれる。
この地域の安定を目指すならトルコの動きを注視、対応することは必須条件である。
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冬ぬくし施設も揺らぐ大笑い
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