「ロシアの歴史を知るための50章」

昨今のロシアが関わるニュースのこともあり、たまたま図書館で見つけた下斗米伸夫(しもとまいのぶお)編著「ロシアの歴史を知るための50章」明石書店刊を読み進めている。

編著者はロシア政治やソ連史の専門家で、時代別課題別の各章にそれぞれの専門家が分担執筆するスタイルである。

ロシアという言葉が使われるようになるのは比較的遅く15世紀末で、それまで現在のロシア西部、ベラルーシウクライナを含む地域には「ルーシ」という国家がありルーシ人を自称していた。

後にモスクワに中心を置くスラブ人の国家が統一を進め、対外的に自らを誇示するようになったときに「ルーシ」のギリシア語名称を逆輸入して「ロシア」と名乗ったとされる

あまりにも書かれてある範囲が広いので悩んだが、ここでは現在に至るまでロシアに深い影響を与えているとされるモンゴルによる占領統治いわゆる「タタール(アジア内陸部遊牧民特にモンゴルの別称)のくびき」について少し触れておくことにした。

ルーシ国家は13世紀、北と南二方向からモンゴル勢の侵攻を受け主だった都市が破壊占領されて、その後200年以上にわたりモンゴル・キプチャクハン国へ定期的な貢納と軍役・使役の提供を強いられる。

ルーシの支配層は住民に対してモンゴルの代理人の役割を果たし、政治・社会・経済の様々な分野で宗主国からそのシステムを学び模倣した。

文化的にもロシアはヨーロッパとは異なった「アジア的」要素のある存在という見方が定着し、ヨーロッパ中心主義から見てロシア知識人のコンプレックスの原因になっている。いわく「ロシア人を一皮剥けばタタール人が出てくる」

特に注目される論は、モンゴルの支配下にあったルーシがその支配システムを学び、その後モスクワ国家からロシア帝国へと国家形成をしていくなかで自らモンゴル的な専制体制を築いていったということで、これはソ連邦を経た現在にも充分適用できる国家体質の解釈かもしれない。

 

【夏兆し朝仰ぐ山いつ登る】

 

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