今年は作家・司馬遼太郎さんの生誕100年に当たるということでNHKでは昭和61年に放送された、司馬さんが昭和の戦争までの時代を語る、『雑談「昭和」への道』を再放送しており、10月9日のこのブログに書いた。
放送は週一回のペースで直近は第11回「江戸日本の多様さ」という題で、録画していたのを見終わった。
この回の趣旨は「明治は欠点を持ちつつも素晴らしい時代であった」「明治時代を作ったのは江戸時代であり、江戸時代の多様さ・バラエティーが一本の川になって流れ出たのが明治である」「多様でなければ国は衰弱していく」として語られる。
その多様さを説明するのに江戸時代の300以上に及ぶ諸藩など地方の特徴やあれこれが語られ、それが面白くここにその一部を書きたくなってしまった次第である。
・肥前鍋島藩~藩挙げて教育熱心で試験に合格しないと役禄や家禄が削られ飢えてしまう。
・薩摩藩~侍は質素であれが基本、同じ九州の肥前と違い勉学はあまり必要とせず。
・越後長岡藩~譜代大名家であるが、幕府が勧める官学・朱子学を採用せず実践的な陽明学を学ばせた。
・岩手南部藩~儒学の一派折衷学(朱子学と荻生徂徠の古学を併せた)を採用、江戸時代の仏教学者・富永仲基を発掘した 明治の歴史家・内藤湖南を生んだ。
・天領の武蔵三多摩~剣術が盛んで近藤勇などを輩出新撰組の母体になる。
・播州一帯~高名な関孝和を始め司馬さんの祖父の例も含め和算術が盛んで、商業地大阪への人材供給地になっていた。高砂の発明家・工楽松右衛門、無神論・山片蟠桃などが著名である。
・会津藩~幕末の京都で周旋方(しゅうせんかた・藩外交官)だった秋月悌次郎が明治になって旧制高校の教師を務めた折に生徒を叱責した言葉「足下(そっか)は何藩か?」
・その他小規模藩の例で、突出した学問や人物として紹介されたもの~宇和島藩(蘭学)越前大野藩(蘭学体操)津和野藩(森鴎外、西周)秋田藩大館(狩野亨吉)など
江戸時代の多様さが生み出したのが明治だとすると、現代(初回放送された昭和60年代)の偏差値一辺倒の社会はこれで良いのかというのが、この番組における司馬さんの提言でもあり問い掛けでもある。
そう言う意味で振り返って考えてみると、日本の失われた30年は、多様性にあまり価値を認めず偏差値教育に重きを置いたことがその要因のひとつかも知れないし、あまりに都市に集中しすぎるより、地方がそれぞれ活性化することが大切なのかも知れない。
🔘今日の一句
手袋を忘れて拳握りしめ
🔘健康公園、ユズリハの実