神戸に引っ越してきて車に乗る機会は用事で大阪を往復するか、買い物の運転手を務めるくらいのもので、以前に比べめっきり減った気がしている。
しかし走行距離にかかわらず年月が経つと車検の通知がやって来て、その見積もりに出掛けてきた。
街の修理工場で以前トライして貰ったがドイツ車の為かエンジンオイルの交換にも手こずる始末で、今回は最初から引っ越し後の最寄り正規ディ-ラ-に持っていった。
診断では冷却水がサーモスタットケースから水漏れしているので、車検を通すには交換が必要とのこと、半信半疑で現象を見せてくれと伝え立ち会ったが確かに少量漏れた痕跡が見られた。
通常水漏れの場合部品単品とシールパッキン類を交換すれば済むと思うが、これを修理するのにはユニット全体の交換が必要と言われた。
そもそも部品の供給単位がユニットで、細かい個々の部品を交換するような体系になっていないらしく、サービスメンテナンスの後の走行安全性確保、熟練技能者の不足などの要因にさかのぼるようである。
以前であれば不具合箇所のみ最小単位の部品修理や交換で済んでいたものが、予め組み立てられた組品・ユニットの交換になっている状況は電機製品、設備装置、などあらゆる工業製品に傾向が見られ、修理費用の高額化にも繋がっていて小型製品の場合、修理はされず製品の交換で済ますのも当たり前になりつつある。
殆どの製品の制御に使われる電子回路も部品単品のサービス供給はなく、回路基板のユニット交換が当たり前になっていて、以前なら必要としたハンダ付けが全く不要である。
買い換えサイクルの短縮化、サービスメンテナンス技能者の育成が容易など、メーカー側にとってはメリットも有るかもしれないが、SDGsに逆行する資源の無駄使い、技術の劣化、などのデメリットも想定される。
車検を通じて世の中の変化の一端を再認識させられ、特にもの創りの技術の底辺が揺らいでいるような気もしている。
🔘今日の一句
垂水なる終の棲家に再(また)の冬
🔘施設の庭各所に咲いている山茶花、椿との違いを今年こそ見極めようとしているが未だ椿は咲いていない。