中断中の独り言・芥川賞受賞作「ハンチバック」

文藝春秋9月号に以前芥川賞を受賞したとニュースなどで話題になっていた、市川沙央(いちかわさおう)さんの「ハンチバック」が掲載されており読み終えた。

若い頃から何度も「純文学」というカテゴリーに入る小説にチャレンジしてきたが、幾つかの例外を除き段々とどうにも私には合わない気がしてきて、ずいぶん長い間遠ざかってきた。

それが純文学の登竜門受賞作を読む気になったのは、たまたま文藝春秋を手に取ったことと併せ、ニュースで作者が「先天性ミオパチー」という難病を抱え車椅子、人工呼吸器などに頼るなか創作活動をしていることを知り、その人が書いた小説がどんなものなのかに興味があったことに他ならず最後まで読み通した。

小説は、作者と同じ難病を抱える主人公が、両親が遺してくれたグループホームに住んで金には困らない環境で、エロ小説などをパソコンを使って書きながら生活する様子が赤裸々に描写されていく。

同号に別に掲載された受賞者インタビューで、作者の父親が最初にこの小説を読んでその破廉恥さに激怒したとあったが、私が同じ立場だったら同じように激怒したかもわからない。

作品中にある『厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。わたしは紙の本を憎んでいた。ーーー』

『本に苦しむせむしの怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないのだろう。こちらは紙の本を1冊読むたび少しづつ背骨が潰れていく気がするというのに、ーーー』

は作者の切実な思いが弾けるような文章であることが良く分かるし、多分作者は自分自身が生きる証のひとつとしてこの作品を書いたのだろう。

しかし私の純文学嫌いは変わりそうにない。

🔘今日の一句

 

山の田に子等が集いて虫送り

 

🔘施設の図書室の出口にヘクソカズラがあると昨年職員の方に教えられ、ずっと花が咲いていないか殆んど毎日確認していた。

昨日本当にようやく小さな特徴ある花が咲いているのを一年越しに見つけた。私は恐れて嗅いでいないのだが、その臭いのせいでヘクソカズラとは何とも可哀想な名前になっている。

俳句の世界ではあんまりな名前だということで、花の中身が赤いことから灸を据えた跡に見立て夏の季語・灸花(やいとばな)というらしい。

 

辛い名を変えて顔出す灸花(やいとばな)