古来武将が戦いに勝つことを目指す場合色々なアプローチの仕方があることを歴史が教えているが、兵に持たせる武器をより効果的なものに変えていくのもそのひとつである。
映画「アレキサンダー大王」を観たのでこの際塩野七生さんのアレクサンドロスを読み直そうと思い「ギリシア人の物語Ⅲ」を図書館で借りてきた。
そのなかにアレキサンダーの父親でマケドニア王・フィリッポスが、他のギリシア都市国家に先んじて行った軍制改革の一環で歩兵の持つ槍の長さを長くしたことが書かれてある。
ギリシア諸国のなかでも長いことで有名であったスパルタの3.5mの槍に比べて倍近い6.5mにした。
更に、長くなったことによる移動の不便を解消するため真ん中で二分割し、金属製の筒で連結出来るようにしてしなりの欠陥を相当程度防止し、接近戦では二本の投げ槍としても使えるようにした。
これで思い出したのは日本の戦国時代に作られたといわれる3間(約5.5m)または3間半(約6.4m)にまで伸ばした足軽槍組が使う長柄槍のことである。
一説にはここまで長くしたのは織田信長とされ、舅の斎藤道三に初めて会う際、鉄砲と3間槍の大部隊を引き連れ相手の度肝を抜いたと伝わる。
柄はしなって軽い竹が使われ、突くのではなく叩くことが基本で、足軽部隊が相手より遠い位置から頭や体めがけて叩き付けてダメージを与えた。
時代も場所も全く違うが現状に拘らず相手より何とか勝ちを得ようとする必死の工夫は、同じような帰結をもたらすのかも知れない。
【家移りも田植えに出逢え小幸(こさち)かな】