「昭和史をさぐる」

伊藤隆著「昭和史をさぐる」吉川弘文館刊を読み終えた。

著者は日本近現代政治史が専門の歴史学者である。この本は昭和初期の政党政治の時代から、満州事変、五・一五事件二・二六事件日中戦争を経て日米開戦、敗戦という昭和の道程を色々な史料に基づいてたどったものである。

もともと朝日カルチャーセンターでの講義内容を取りまとめたものが発端であるらしく平易な文章が特徴になっている。

この時代に於ける私の最大の関心事は「なぜ無謀と思える日米開戦へ日本が決意するに至ったか」であるが、著者はこの事についていくつかの興味ある事実を書いている。

・開戦の年昭和16年(1941)3月~4月にかけて非公式を含む日米交渉で諒解案が話合われているその骨子は「日独伊三国同盟アメリカ側の容認」、「満州を除く中国からの日本軍の撤退と中国の独立をルーズベルト大統領の仲介で実現」というものであったが当初乗り気であったにもかかわらず最終的に日本政府は妥協の余地なく拒否回答に至る。

・同年6月ドイツがソ連に侵攻、この際日本は北進(ドイツに呼応してソ連に侵攻)か南進(英米戦に備え資源のある南方に進出する)すべきかの議論があり、南方進出の体制強化が決定された。

・南進の方針に従い7月日本は南部仏印(フランス領インドシナベトナム)に進出、アメリカは即時に報復措置として在米日本資産の凍結と石油を含む全面輸出禁止を実行した。

・当時日本はほとんどの石油をアメリカに依存しており経済軍事両面から決定的な措置であった。アメリカは日本が経済的に音をあげると予想したが、日本は違った道、9月6日開戦を御前会議で決定する。

・開戦のタイムリミット12月に向けて引き続いて日米交渉が行われたが成功しなかった。その背景に当時のヨーロッパではイギリスが危うくアメリカは物質援助を行っていたが国内には孤立主義が大勢で参戦は難しかったが上層部は参戦を強く期していた。

もし日本がアメリカを攻撃すれば三国同盟によってドイツイタリアが自動的にアメリカに宣戦布告、これでアメリカはヨーロッパ戦争に介入出来、国民の敵愾心も高まるという計算がアメリカ側にあったと想像できる。

 

🔘なぜ無謀な日米開戦に至ったかについては簡単に語り尽くせるものではないが、ひとつの見方として「日本は引き際である帰還不能点(point of no return)を見誤り見失い惰性で進み続け、アメリカの敷いたレールにまで乗ってしまった」と言えるのではないだろうか。

 

国境(くにざかい)越えて播磨へ青嵐】

 

🔘健康公園の花壇、百日草