「正岡子規・よもだのエネルギー球」

文藝春秋の創刊100周年と銘打った新年特大号には101年目の超大型企画として「101人の輝ける日本人」と題が付き「日本人を感動させ、ワクワクさせた人々の最高にチャーミングな素顔がここにある」とした101人のそれぞれを身近で観た人が101のエッセイを載せている。

その中のひとつが「よもだのエネルギー球」と題して「正岡子規」のことを俳人・夏井いつきさんが書かれていてエネルギー球ような闘志と情熱を燃やし続けた人と評されている。

正岡子規は以前も書いたように作家・司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」や作家・伊集院静さんの「ノボさん」「ミチクサ先生」などで身近な存在になっており最近俳句を勉強し始めたおかげで更に近付いたような気がしている。

一方夏井いつきさんは子規と同じ愛媛県の出身でTVの辛口俳句批評で人気を博している。

子規のことを例えた「よもだ」とは愛媛県の方言(伊予弁)で「いいかげん」「ふざけている」という意味でその中には悪い意味だけでなく、親しみを込めて「しょうがないなあ」という苦笑いのニュアンスが込められ、子規の持つ反骨精神や肩ひじ張らずユーモアで生きようとする精神にぴったりの言葉らしい。

夏井さんは子規の「よもだ」の具体例として以下のことなどを挙げられている。

・子規とは血を吐くまで啼くホトトギスの漢名で喀血した自分を飄々として例えている。

・月並みに陥った俳句に異を唱え、革新しようとしたり、短歌の革新や写生文も含めて因襲や理屈と戦っている。

・子規が野球を愛したのはよく知られているが子規の雅号のひとつ「野球(のボール)」は幼名の升(のぼる)とベースボールから発想した。

・子規が死の十二時間前に詠んだ句

糸瓜(へちま)咲て痰のつまりし仏かな」と死の寸前にある己を痰が詰まった仏だと客観視している。

 

冬日和 あの日に戻る 涙声】

 

🔘健康公園管理室近くの花壇、これもネメシアの仲間と思われる。