「鎌倉殿VS朝廷・承久の乱の真実」

文藝春秋の創刊100周年新年特大号はさすがに面白い記事が沢山あるがこれもそのひとつ。

夫婦共に東大史料編纂所教授という歴史家の本郷和人氏、本郷恵子氏の承久の乱を中心にした対談を取りまとめた表題の「鎌倉殿VS朝廷・承久の乱の真実」である。

承久の乱NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも物語の最後を飾った京朝廷・後鳥羽上皇と鎌倉・北条義時の争いで鎌倉方の圧倒的な勝利で以後の武士の世を決定つけた。

この対談で私が個人的に面白いと感じた視点が幾つかあり以下に書き留めておきたい。

①北条氏は天皇を指名出来るほどの権力者になりながら将軍に「ならなかった」、「なれなかった」のではない。あえて朝廷の官位という序列の外に自分を置くことで、自分は地元関東の仲間達に認められた東国武士団の代表であると御家人達にアピールする狙いがあった。

承久の乱の勃発を告げる朝廷からの「官宣旨(かんせんじ)」や「院宣(いんぜん)」には義時を討てと書かれてあったが、幕府という呼び名が生まれたのは明治になってからで当時朝廷が政権を倒す命令を発するときには指導者の名前を挙げており義時を討てとは幕府を倒せと同じであった。

③(私が郷里の関係で追跡している毛利氏は本姓は大江氏で源頼朝の創業を助けた大江広元(おおえのひろもと)に行き着く)

大江広元は京の出身で元々文官であった。軍師とは軍事指揮の出来る文官を言い日本の歴史に軍師がいるとすれば黒田官兵衛ではなく大江広元で、社会情勢を見抜き承久の乱で即時京への進軍を唱えたように、どう動くべきか戦略を練ることが出来た。

 

【冬の午後 珈琲とチョコ 手に本を】

 

🔘介護棟の庭シリーズ、画像検索から見ると菊科のクリサンセマムの仲間のような気がする。