「天正伊賀の乱(てんしょういがのらん)」

天正伊賀の乱」とは織田信長天下布武が見え始めた天正期(1573~1592)に織田勢力が伊賀国(いがのくに・三重県)を攻めた戦乱である。
伊賀は山あいの小国で戦国大名の支配外にあり地侍集団が治めるいわば自治の国であった。

この地侍集団がいわゆる忍びの者の原型であり、戦国の革命児と自治組織・忍びの者との対決図式は格好の小説素材であり色々な作家がこの戦乱を描いている。例えば
梟の城司馬遼太郎
忍びの国― 和田竜
・山河果てるとも―伊東潤
等がある。

この戦いについて、小説では色々な角度から想像を膨らますことができて成立しやすいが、裏付けになる基礎史料が乏しく歴史研究の事例は少ないが、この本はその数少ない内のひとつかもしれない。
和田裕弘(わだやすひろ)著「天正伊賀の乱 ・信長を本気にさせた伊賀衆の意地」中公新書版 を読み終えた。

著者はこの伊賀の戦いを3次に分けて論じている。
・第一次―ー天正7年(1579) 9月、織田信長の次男で伊勢国(いせのくに・三重県)の名門・北畠氏の家督を継いでいた信雄(のぶかつ)が父信長に無断で伊賀に侵攻、忍びの者、地侍達の反抗に遭って敗退した。

・第二次――2年後天正9年9月、織田一族の不名誉を挽回すべく信長は汚名返上の機会を信雄に与え小国伊賀に織田の大軍を投入、地侍も分裂し伊賀国内は破壊、焼き尽くされ焦土となった。

・第三次――第二次の翌年本能寺の変が勃発、この混乱に乗じて伊賀の残党が蜂起する。変後の体制を決めるいわゆる清洲会議伊賀国織田信雄の所領とされたがこれに伊賀衆が抵抗、この混乱は秀吉の天下統一まで続く事になる。

著者はこの本の執筆に2年を掛けたとのことだが、この乱についての基本史料が乏しいなか、巻末に記された膨大な参考文献の少ない記述を当たりながら乱の実像を検証していき、「あとがき」では「天正伊賀の乱」とは何だったのか?に対する答えとして、以下のように記している。

『時代の趨勢(すうせい)に抗い、織豊期(しょくほうき・安土桃山時代)に咲いた「民衆自治」の最後の徒花(あだばな)だったと思えてならない』

◎今朝は久しぶりに鮮やかな色の花に出会った。