「〈武家の王〉足利氏・戦国大名と足利的秩序」

足利氏が15代に亘り将軍職であった室町時代は一般的に将軍の権威はさほど強くなく混乱の時代が続いたイメージがある。

初期は南北朝の争いが尾を引き、足利尊氏、直義(ただよし)
兄弟が争った観応の擾乱(かんのうのじょうらん)や鎌倉幕府北条氏の残党が決起した中先代の乱(なかせんだいのらん)もあった。

更に6代・義教(よしのり)、13代・義輝は共に部下の大名に暗殺されると云う最期を遂げている。

また8代・義政の後継者問題が一因になった大乱・応仁の乱を経て群雄が各地に割拠する戦国時代に入っていく。

谷口雄太著「〈武家の王〉足利氏・戦国大名と足利的秩序」吉川弘文館刊 はこのように長く続く戦乱や統治不全の中でなぜ足利氏が長く生き残ったのかを明らかにしていく。
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室町時代初期、足利氏は各大名を武力で圧倒し、その後各種の儀礼、官位、工作等により武家の王としての権威を確立し足利的秩序を作り上げた。

戦国時代に入ると将軍は次第に実力を失って行くが、その対応策として各地に勃興する有力者を懐柔する方向に舵を切り、力の重視へと移って行く。

これが結果的に足利的秩序が揺らぐきっかけになったと著者は分析しその行き着く先が、三好長慶(みよしながよし)や織田信長などが足利氏を頂点とすることなく社会を動かすことになると説明している

よく知られているように足利義昭を将軍職に押し上げた織田信長は、後にその15代将軍・足利義昭を追放したが、その後義昭は西国に下った後も将軍職を保持し、各地の大名に反信長の手紙(御教書)を出し続け武田信玄などこれに応じる武将もいた。

実力が低下しても尚長い期間足利氏が生き残り、また追放されてもその権威は残った、この要因について
当時の全国の武家の間に足利氏を〈武家の王〉とする共通の価値観が広く醸成されており、この価値観によって足利氏は下から支えられていたと分析している。

近年、呉座勇一著「応仁の乱」や亀田俊和著「観応の擾乱」がベストセラーになって室町時代に対する関心が高くなっているがこの本もその一翼を担うものかも知れない。

エノコログサが紅く変色し、一瞬目を奪われた
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