「上皇の日本史」①地位が先か、人が先か

本郷和人著「上皇の日本史」中公新書ラクレ刊 を読み進めている。

 

この本の「まえがき」の一部、「地位が先か、人が先か」という章で上皇という日本にしかない地位に関連して、日本特有の地位と人との関わりを論じているのが目から鱗で、ここに書いておくことにした。

天皇生前退位して上皇(太上天皇)になる例は後白河上皇などのように歴史上当たり前に見られ、政治権力上天皇より優位にあり地位ではなく人の優先を見ることが出来る。

●くじ引き将軍として有名になった室町幕府第六代将軍・足利義教守護大名のくじ引きで選ばれたが、僧であったため未だ髪が生え揃わぬことを理由に征夷大将軍宣下が遅れ、政務の開始を朝廷などから疑問視されたが、守護大名の支持を背景に無官のままで政治を始めた。これが日本の人と地位のあり方の見本のひとつである。

●ヨーロッパ、中国などでは王(king)、皇帝(emperor)の上皇に相当する言葉はなく、例外を除いて退位したものが新しい王や皇帝を差し置いて政治の実権を掌握するシステム的なものはなかった。

科挙(かきょ)は中国歴代王朝で継続的に運用された超難関の官吏登用試験で、どんな高官の子弟でもこれをパスしないと官僚になれない。日本は中国にエリートを送り法の体系を学び律令制を作ったが、科挙は知っていながら持ち込むことをせず世襲によって高位高官を任用した。

●人が先にありその人を処遇されるために地位が作られ競争原理が働かないが、争いは比較的少ない状況が作られる。この辺りの事が現在の政治の世襲化に繋がっているとも言える。

🔘諸外国とは異なる日本社会の本質の一部を突いているような気がする。

🔘たまたまこれを書いている最中にNHKの歴史番組・英雄たちの選択で「平安時代を壊した帝王 白河上皇 山法師との戦い」という番組を観たが、上皇権力の創始者とも言える白河上皇が当時の政治システム・律令制を超えて摂関家藤原氏から権力を奪っていく説明があり、かなりこの本の主張と似通ったところがある印象を受けた。

 

【日も過ぎてカーネーションの二つ三つ】

 

🔘健康公園、草むらにヒルガオ(昼顔)がポツリポツリと顔を出している。