歴史家・黒田基樹著〈戦国「おんな家長」の群像〉笠間書院刊 を読み終えた。
日本史の中で家長(かちょう・一家の家督を継ぎ一族郎党を統括する)として女性が君臨したケースで、私が直ぐに思い浮かぶのは、源頼朝死後「尼将軍」と呼ばれた北条政子で、自らの演説で御家人(ごけにん)を結集し「承久の乱(じょうきゅうのらん)」を勝利に導き、実家の北条氏を幕府の最高権力者・執権(しっけん)に押し上げた。
戦国時代は戦国大名と呼ばれる1ヶ国から数ヶ国を支配する家や、国衆(くにしゅう)と呼ばれる1郡から数郡を支配する家が排他的な領国を形成し、それを中央権力に頼らず全くの自力で統治する領域国家が林立(りんりつ)する時代であった。
このような時代は家父長制と言われるように当然ながら男性優位の世界であり家の頂点に君臨するのは男性が当たり前であった。
この本では、このような時代でも、例えば当主の死後、新たな当主が幼少であったりして、政務を取ることが出来ない場合や適当な後継者が得られず当主不在の場合などに先の当主の正妻に限定して女性が家長権を行使した例が18件有ったことを史料の裏付けと共に説明している。
それぞれの事例では男性優位の社会のなかで、どの様に権力を行使したかが現存する発給文書から説明されるが、種々の条件、制約の中ではあるものの「おんな家長」はやはり領域国家に於ける「女王」であったとしている。
この本に取り上げられた18の事例の中で大河ドラマに出てきたり小説で取り上げられるなど比較的著名なものは
・今川家寿桂尼(じゅけいに)ーー今川義元の義理の母
・戸次家(立花家)戸次誾千代(べっきぎんちよ)ーー立花宗茂を婿に迎える
・遠山家遠山景任後室(とうやまかげとうこうしつ)ーー織田信長の叔母
・豊臣家浅井茶々(あさいちゃちゃ)ーー豊臣秀頼の母
等がいる。
他の事例と共にこれらの女性たちは、家の存続と一族の伸長のため、男性社会の中で力を尽くし闘っている。
◎8月25日のこのブログで緑一色のコキアの写真を載せたが、図鑑に書かれているとおり今見てみるとすっかり色づいていた。