「司馬遷(しばせん)」と「李陵(りりょう)」①

NHKBSで「古代中国・よみがえる英雄伝説」という番組が連続して再放送されている。今回の「司馬遷武帝(ぶてい)~"史記"誕生秘話」は以前の放送を見のがしており、録画して観ることにした。

よく知られているように漢王朝武帝の時代、暦や歴史を記録する「太史令(たいしれい)」であった「司馬遷」が著した中国最古の史書史記」は、編年体といわれる年を追って出来事を記述する方式ではなく、人物主体の紀伝体と呼ばれる編さん叙述で、後の歴史書に決定的な影響を与えている。

史記は日本でも古くから読まれておりこの中から、「四面楚歌(しめんそか)」「遠交近攻」など数多くの4字熟語やことわざが生まれ現代にも生きて受け継がれている。

中国・漢の武帝(在位:紀元前141~前87)の時代は名前が表すように武力で周辺を圧し領土を拡げた。
当時の最大の敵は西域の遊牧騎馬民族国家「匈奴(きょうど)」で漢とは建国以来の争いが続いていた。

漢の騎都尉(きとい)という軍官であった「李陵」は武帝の命を受け、他の大将軍の遊撃部隊として5000人の歩兵を率いて西域に出撃し、数倍の匈奴騎兵部隊と連日善戦を続けるが兵力差が圧倒的で、ついに刀折れ矢尽きて気を失い捕虜となる。

都に李陵が生きて敵の捕虜になったことが伝わると、武帝は怒り百官にその罪を問うと、皆我が身かわいさから李陵の非を鳴らすなか、司馬遷は唯1人李陵を擁護して武帝に諫言(かんげん)する。

これに激怒した武帝司馬遷宮刑に処す。腐刑ともいわれ強制的に去勢される当時最も恥ずべき、精神的な死を意味する刑罰である。

戦前に若くして亡くなった作家・中島敦(なかじまあつし)に有名な「李陵」という遺作で代表作にもなる作品があり、この極限状態から、司馬遷と李陵のふたりがそれぞれどのように生きたかを描いている。

実は今から約半世紀前、若い頃に是非とも中島敦にチャレンジしようと「中島敦全集」を購入して読み始めたところ
旧仮名使い、旧漢字に圧倒されて途中で挫折してしまった。このTV番組を観て、この機会に「李陵」を読んでやろうと一念発起し書棚から引っ張り出してきた。

以下別の日に。

◎歩きの途中、桜の木の下で花びらに囲まれ小さく咲いているのは、図鑑と照合するとナガミヒナゲシと思われる。