「苗字の歴史」

豊田武著「苗字の歴史」吉川弘文館刊を読み終えた。

この本は日本中世史を研究する著者が苗字(名字)の起こりからその発展する歴史や色々な名字の由来を地方豪族や武士団の成長等とも絡めて論じたものである。

あまりに範囲が広いのでここでは私の個人的興味を引いた部分のさわりを書き残して置くことにした。

 

①苗字の起こり

名字を苗字と書くのは苗の字に種とか血筋の意味があるためで同種同根の苗裔(びょうえい)というところから用いられるようになった。公に使われるようになったのは江戸時代で「苗字帯刀」というように使われた。

それまでは名字が基本でありその名字は字(あざな)が起源と考えられる。字は本名を呼ばれるとその身に禍がかかるタブーや、下人が主の名乗りを呼ぶのは面白くないこととされたことなどから普及し、律令制の姓氏に繋がる本名とは別に呼び名を定めた。源氏の家の次男で源次などである。

これでは同名のものが何人もいて区別がしにくく現在住むところの地名を冠して箕田(みのだ・みた)の住人を箕田源次などと称するようになりむしろ箕田の部分を字と思うようになり「名字」という言葉が生まれた。

すなわち名字はその氏と関係の深い居住地であり「名字地(みょうじのち)」である。この名字地を一族が世襲しこれを一族の団結の根拠とするようになって名字が定まった

②日本の苗字(名字)は法律的には「氏」と称され「姓氏」と呼ばれることも多い。中国では氏は官名・職名、居住地名、あるいは父祖の字から生まれ、戦国時代から漢代にかけて姓と混合し以後は日本の名字のように新しく生まれることはなかった。

日本ではこの姓氏が後の名字と混同してその数、十万通りとされるほどになったのに対し、中国では三百余と推定されるほど少なく、また朝鮮も同様に五百と推定される。

 

【春雨が西域(さいいき)の砂洗いけり】

 

🔘もみじと言えば紅葉の時くらいしか関心がなかったが、健康公園を歩くことで例えばイロハモミジの若葉も美しい時期であると言うことが分かって来た。

イロハモミジにも花が咲くらしくどうやらこれは花が散った後らしい。来年は是非花を見てみたい。