ふるさと厚狭・松嶽山と美祢・南原寺

山口県在住の中学校同級生に私の本を送ったところ、同級生の友人も歴史が好きで本を読みたいと言われているとの手紙を貰い、喜んで別の一冊を送った。

その友人の方は美祢出身で、美祢市伊佐地区にある真言宗南原寺(なんばらじ)が好きで何度も行かれているらしく、この日記でも何度か触れた、私のふるさと厚狭の象徴、松嶽山・真言宗正法寺と共に、花山法皇にゆかりがあると手紙に書かれてあった。
昨年帰省の折りに撮った松嶽山f:id:kfujiiasa:20210214122043j:plain

南原寺のホームページを見ると色々な花の名所になっているらしく、寺伝では法皇が寺で修行され、また終焉の地であると伝わっているらしい。
実際のところ法皇は現在の京都御苑敷地内にあった邸宅・花山院での死去が記録されている。

正法寺も「新券流記帳」という名の寺伝に、花山法皇の開基で本尊も法皇の自作と書かれている。然しこの本尊像には法皇崩御185年経過後の造顕と書かれており明らかに矛盾している。

花山法皇平安時代、第65代天皇として16歳で即位、藤原氏の権力争いに巻き込まれ僅か2年で退位し法皇となった。その後仏道修行で紀伊熊野に入山、近畿地方に点在する西国三十三ヶ所巡礼地の始まりである観音霊場での修行をされたと伝わる人物で、山岳信仰に関わりが深い。

正法寺や南原寺と花山法皇に関わる言い伝えについて昭和59年(1984)発行の「山陽町史」は以下のように記している。

・正史には花山法皇の当地方巡幸のことはない。
長門地方に法皇巡錫の地と伝えるところが多いのは熊野系の彦山(英彦山・ひこさん)の山伏の廻行や観音信仰の影響からであろうか。
(英彦山は福岡県と大分県境にある山で羽黒山、熊野山とならんで日本の三大修験道場。私の実家だったか、母親の実家だったのか定かでないが神棚に英彦山の御札があげてあった古い記憶があり、確かに長門国地域には英彦山の影響が有ったと思われる)

寺伝は時として寺の格を上げるため周辺が意識して流布した例が多く見られる、言い伝えは言い伝えとしてそっとしておきたい気持ちもあるがつい深入りしてしまう。

松嶽山には是非もう一度登りたいと思っているが、そのとき同時に、比較的近い南原寺にも行って見たい気がする。どんな花が咲いているのだろうか。

◎昨日はバレンタインデー、リタイア後チョコレートは当日何処かに出かけ義理チョコを貰う以外、家内と娘からの2箱のみが定番になり、今年も変わらずに届いた。
何はともあれ貰うことは嬉しい。
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