古代からの技術者、木地師・土師・鋳物師

私のホームコースゴルフ場の食堂で「木地」と言う名札を付けた女性を10年来見掛けて顔馴染みになっており、いつか聞きたいと思っていたが、先日たまたま朝のコーヒータイムで他に客が居ないこともあり「木地師の家系ではないか?」 と聞いてみたところ木地は婚家の苗字で確かに木地師(きじし)の言い伝えを聞いているとのことで納得。

木地師は古代からの職業で木からろくろを使ってお椀やお盆等木工製品を作り生活してきた人々で全国の山に分け入り移住生活を送ったとされる。また伝説では他人の持山にも入って良いとの朝廷からの免許状を下賜されていた話もある、

同じこのホームコースには土師(はじ)さんと言うメンバーがおられ、以前ご一緒したときにお聞きすると大阪藤井寺市にある地名で土師ノ里との関り合いを話された。        土師は土器や土偶を作ったり古墳を造営する職業で古代土師氏を名乗る氏族もあり、相撲の元祖で當麻蹴速(たいまのけはや)を蹴り殺した野見宿禰(のみのすくね)はこの一族の祖と言われ古来、古墳に殉死者を一緒に埋葬する風習を改め埴輪で代用することを提案したとの話が残る。

これらに似たものに鋳物師(いもじ)がありまさしく金属を加工、鋳物を作る技術者集団で私の生まれた厚狭の北奥に鋳物師屋と言う集落があり、山陽町教育委員会発行の「山陽史話ニ」には〈松嶽山の東麓のこの部落はその名のように金属を溶かして鋳型に入れ、器物をつくることを業とする人々がいたと考えてよいと思う。〉と記されている。

古代から現代迄脈々と受け継がれた名前はその奥を色々と想像させてとても興味深い。