甘糟りり子「鎌倉の家」

甘糟(あまかす)りり子と言う名前は週刊誌に時折載っている短い記事やエッセイで記憶の隅に残っていた。

甘糟の姓は歴史好きなら知っている人も多いと思われるが、越後(新潟県)の戦国大名上杉謙信の有力家臣一族で、上杉家が米沢に移っても続いている。甘糟りり子さんがこの家系かどうか分からないが、珍しい姓で、ペンネームではなく本名のようなので何らかの縁があるのかも知れない。

たまたま近所の図書館のエッセイが集まっている書棚で「鎌倉の家」が目に留まり借り出して読み終えた。

甘糟さんは鎌倉・稲村ヶ崎(いなむらがさき)で育ち、その後東京で暮らした後、かつて父母と暮らした鎌倉に戻って、家を改装して住んでいる。
鎌倉の暮らしが季節と共に短いエッセイの33の章に著されているが、特に味覚カレンダーと名付けた美味しい食べ物飲み物の数々や、日本酒やウイスキーなど、文章だけでこちらも今すぐ欲しくなってしまう。
また鎌倉ならではの子供の頃の想い出は、その懐かしさが伝わって来るような気がした。

又々余談だが、甘糟さんが住む稲村ヶ崎は、鎌倉時代末期、後醍醐天皇に呼応した源氏の嫡流新田義貞鎌倉幕府を攻めた際に、進路を確保するため剣を投じて潮の退くことを祈った場所と唱歌「鎌倉」にも歌われている。

♪︎♪︎稲村ヶ崎 名将の 剣(つるぎ)投ぜし 古戦場♪︎♪︎

33の小品の中に「澤地おばちゃん」と言う章があるが、これは「妻たちの二・二六事件」などの著作があり、私も尊敬しているノンフィクション作家・澤地久枝さんのことで、身近な知り合いだったのかと驚いたが、甘糟さんの母親が、「澤地さんのことを考えただけで背筋がしゃんとする」と言っていたことが書かれており、澤地さんの文章から察すると、さもありなんと大いに納得した。

プロフィールを見ると甘糟さんは50代後半のようだが、書かれている内容は歳相応の普段の生活そのもので、なるほどと思わせ前向きな姿勢は、見倣うようなことも多い。
今までこのようなジャンルの本はあまり手に取ったことがない気がするが、読み終えて、こういう穏やかなエッセイもなかなか良いもんだと改めて思ってしまった。

◎菊科と思える花は、今の時期殆んど枯れてしまっているが、何とか必死に咲き残っているものもある。