中断中のひとりごと③適塾塾生桑原氏の墓

このブログ日記から抜粋して本にするため、この際、ふるさと厚狭の写真を取り直そうと一泊二日で厚狭に来ている。

この機会に、史料に記載があるものの未だ見ぬ史跡などにも当たって見ようと考えていたが昨日、厚狭の象徴のひとつ物見山の護国神社で出会いがあった。

幕末、緒方洪庵が大阪で開いた蘭学の「適塾」に厚狭から桑原家の兄弟が学んでいた事をこのブログでも書いたが、弟の桑原玄蕃は、その後官立の大阪洋学校から藩の要請を受け明治初年の諸隊脱退騒動の反乱部隊討伐に官軍側で従軍戦死した。
その事は2019年11月26日のこの日記にも書いた。

官軍側の戦死者は護国神社(招魂場)に祀られているとの事だったので墓域を順次、クモの巣にめげず確認させて貰うと、沢山の太平洋戦争などの戦死者に混じって一番奥にひっそりと確かにそこに在った。

150年前の建立なので文字も薄くなっているが行年(享年)29歳と書かれてある事も調べた史料と一致する。

向学心溢れたふるさとの大先輩の、歴史を駆け抜けた生涯を思うと不思議な感慨を覚えるし、ひょっとすると桑原氏はおよそ150年間私の来るのを待っていたのではないかと勝手に想像してしまう。

物見山から見る厚狭の町
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厚狭護国神社(招魂場)の墓地
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桑原玄蕃氏墓
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行年(享年29歳)
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