「思えば遠く(へ)来たもんだ」

今、小説家宮本輝さんのエッセイ集「いのちの姿」集英社刊を近くの図書館から借り出して読んでいる。
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私は宮本輝さんが1977年「泥の河」で太宰治賞、1978年「蛍川」で芥川賞を受賞されて以来の愛読者なので、かれこれ40年以上読ませて貰っていることになる。

宮本さんがエッセイ集を出すことは余り無く、たまたま巡り会ったような偶然に感謝して、古い本ながら読み始めたが、14ある小題の一つひとつに惹かれるものがある。

今日はその中で、新しい発見に出会えた「小説の登場人物」という短いエッセイの中から。

「最近、自分はいったい小説を何篇書いたのかと数えてみた。~~~~~なにほどのものを残せたのかという思いもあったし、中原中也の詩の一節を借りれば〈思へば遠く来たもんだ〉という感慨もあった。」

詩人中原中也は私の郷里山口県の大先輩で「汚れちまった悲しみに」等で知られるが、〈この思えば遠く来たもんだ〉は全く知らず、興味が湧いて調べてみると
「頑是ない歌」という詩のなかにそれは有った。

「〈思えば遠く来たもんだ〉十二の冬のあの夕べ~~~~~
 今では女房子供持ち 〈思えば遠く来たもんだ〉 この先まだまだ何時までか生きて行くのであろうけど」

いい詩だなと思いつつ、ここまで来たところでハタと思ったのは、此れは武田鉄矢さんの海援隊が唄う懐メロ「思えば遠くへ来たもんだ」の世界ではないだろうか?

この歌は同級生友人のカラオケ持ち歌の一つで大体の歌詞も覚えていたのだが
「♪思えば遠く(へ)来たもんだ 今では女房子供持ち~~~~~
思えば遠く(へ)来たもんだ この先どこまで行くのやら♪」

重なってる!

武田鉄矢さんは福岡県出身で山口県の西隣、中原中也の詩を思い浮かべながら、自分の思いを重ねたのかもしれない。

一つの文章から色々なことの知識を得たり繋がりを想像することは、梅雨の季節「雨読」の最高の楽しみの一つかもしれない。

「歩き」の途中、塀から顔を出す椿の実(マルマルで椿油が沢山絞れそう)
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