新井紀子教授の「メディア私評」

色々書きたいことが重なり、つい遅れてこの日記に書くことになってしまったが、先週土曜日の朝日新聞に、切り抜いて残して置いた、気になる記事があった。

国立情報学研究所新井紀子教授が朝日新聞に定期的に寄稿している、各種メディアに対する評論「メディア私評」で、寄稿先の朝日新聞に対する辛辣な問いかけをされている。

その要旨は、
・最近の朝日新聞の紙面を眺めると何かがおかしいと感じる。
今日の朝刊なのに「前に読んだような」という既視感が漂う。

・教育関係の記事に絞って検索サービスを活用して頻繁に登場する教育者名と書いた記者を調べると同じような内容のものが繰り返し登場していることが分かった。

・取材先と記者が固定すると偏りは避けられない、AI等を用いて社内的に防止策を講じる必要がある。

・私たち自身の代わりに目となり耳となり、手に余る巨大な世界を公平な立場で要約整理する記事を期待する。

新井教授は現代の若者の読解力不足について実例をもとに警鐘を鳴らし、「読解力向上」があらゆる学びの基礎となることを訴えておられ、とても共感(私は読解力のみでなく国語力が全ての基礎と考えているのだが)するところがある。

寄稿を頼まれている新聞社に、これ程はっきり苦言を呈する事が出来るところなど、妙に感心してしまう。

私はこの日記にも書いているように、月一回大阪の朝日新聞社社屋のある中之島フェスティバルタワーに通って、歴史の講義を受けている身だが、毎回思うのは、こんな高層ビルの中で新聞記者が毎日勤務して、本当に内容のある、地道な、生活に根差した記事が書けるのだろうかという疑問である。

もちろん地方の支局や海外等では過酷な状況での取材が待ち受けている事もあるのだろうが、新聞の編集や指示判断はこの都会の一等地にある高層階からだろう。

新井教授の書かれている内容は、何か昨今のマスメディアの根深いところを突いているような気がしてならない。

「歩き」の途中、近所の美容院前に咲いていた花
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