会津人 二人の林権助

最近のニュースで日韓関係の話題がしきりに出てくるので昔購入した本で勉強し直そうと思い古い蔵書の中から岩波新書を選んで読み始めた。

日韓併合小史  」山辺健太郎著  1966年刊行

内容は別にして今回この中に出てくる日本の外務官僚で明治時代「日韓議定書」「日韓保護条約」の締結を主導した駐韓特命全権公使  林権助 の名前にふと目が止まった。

古風な珍しい名前で以前どこかで出会った事があり検索して見て、ようやく古い記憶と繋がった。

司馬遼太郎氏の新撰組小説に土方歳三が主人公の「燃えよ剣」がありそのなかで  幕末の局面が大きく転換した鳥羽伏見の戦いを描いた場面で会津藩大砲奉行  林権助老人(当時63歳)として出てくることに思い至りこれも書棚から古い本を引っ張り出した。

権助老人は土方と協力して戦うが薩摩の圧倒的火力で砲を潰され突撃して戦死する。

ようやく探し当てたものの相互の年齢も合わず更に調べると、会津の林家は上士で老人の孫が権助の名前を継いで、この時期賊軍と呼ばれた会津人に共通する辛苦の末、外務官僚になったとのことらしい。

本を読むと色々な疑問にぶつかるが最近ではインターネットのお陰でその解を得るのが昔に比べると格段に易しくなった。

以前であれば府立図書館等へ出向かなければまず解明できなかったのだが。

いずれにせよ記憶がつながり新しい知識が増えるのは大変嬉しい。

以下語呂あわせの余談だが、

日露戦争連合艦隊がロシアバルチック艦隊を迎え撃つ際、指揮命令をスムーズに徹底するためロシアの艦名を日本風にして下士官や水兵に覚えさせた。

一等巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」の場合「ごみ取り権助  」 である。