平岡定海(ひらおかじょうかい)著「大佛勧進ものがたり」吉川弘文館 刊 を読み終えた。
著者は東大寺の最高職である別当(べっとう)も勤めた僧侶でもあり、史学の専門家である。
勧進(かんじん)とは寺社・仏像の建立(こんりゅう)や修繕などのため寄付を募ることを言う。
余談になるが熊本地方の民謡「五木の子守唄」に
おどまかんじん かんじん あん人達や よか衆
という歌詞があるがこの かんじん こそ勧進であり本来の寺社への寄付行為から転じて、自分自身の境遇を「物乞い」のようだとして卑下している。
この本は大きくは三つのものがたりに分けられ、
・天平時代、聖武天皇の詔勅により始まった大佛造顕と東大寺創建、この事業に向けた僧・行基、良弁僧正などの活躍。
・平安時代末期、平家の南都(なんと・奈良)焼き討ちに伴う大佛と東大寺などの焼亡、後白河法皇、源頼朝などの後援を受けた重源上人(ちょうげんしょうにん)による大佛と大佛殿の再建活動。
・室町時代末期、戦国の奈良を巡る争いのなか、三好三人衆と松永久秀久通父子の戦いで再び大佛と大佛殿が焼け落ちた、この再建は太平となる江戸時代まで持ち越され徳川綱吉の時代、公慶(こうけい)上人などの献身で実現する。
これらの歴史を追跡していくと、奈良時代以来国家仏教の本山として見られていた東大寺及び大佛・毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)は広く民衆によって支持されたもので、莫大な費用、労力、技術などを必要とする創建や再建には多くの民の協力があったことがわかり、これこそが勧進と云えるものである。
平家の南都焼き討ちからの再建を中心になって成し遂げた重源上人は山口県にゆかりの人物で、東大寺大勧進職として実質的な周防国(すおうのくに・山口県)国司となり現地に長期間出向き、銅や巨木の調達運搬の指揮を採った。
その活動の一端は2022年9月15日のこのブログに「長登(ながのぼり)銅山跡と奈良の大仏」として書いたことがある。
🔘今日の一句
みすゞの詩「明るい方へ」春を待つ