「根来寺(ねごろでら)を解く」①

私が初めて「根来・ねごろ」という変わった名前を聞いたのは多分今から60年近く前の小学生の頃だと思う。
テレビで「隠密剣士」だったろうか、子供向けの時代劇で「根来忍法」「根来衆」等として時折登場し、大抵悪役集団だった気がする。

もちろんその頃は「ねごろ」がどういう意味なのか全く理解していなかったが、紀州(和歌山県)生まれの作家・津本陽さんや司馬遼太郎さんの著作から「根来寺」やこの寺をひらいた「覚鑁上人(かくばんしょうにん)」を知った。

またこの寺が、種子島からの鉄砲伝来にも関係している説があり、戦国時代には根来衆(ねごろしゅう)と呼ばれる鉄砲集団が形成され、傭兵として諸国大名に雇われた歴史がある事も知り、ここで初めて子供の頃の時代劇で「根来」が悪役になるルーツが分かった気がした。

その後豊臣秀吉の天下統一過程での紀州攻めで根来寺全山が焼き討ちされ壊滅した歴史も知る事になった。

その上最近でも身近にこの寺を思い起こすことが2件重なっている。
・定年退職後一時お世話になった会社の縁で行った和歌山のゴルフ場は紀ノ川を隔てた根来寺の対岸にあり寺を遠望出来、またゴルフ場の麓まで最盛期の根来寺の荘園であった事も分かり、それだけで遠路はるばる来た甲斐が有った気がした。

自費出版した本を送った同級生から頂いた手紙に「先祖は紀州出身で姓が根来」と書いてあり出身地と姓の繋がりから、なる程と感じるものがあった。

そんな状態のなか、たまたま行きつけの近所の図書館で中川委紀子著「根来寺を解く」朝日新聞出版刊 に行き当たり、これも縁の賜物と思い早速借り出した。

著者の中川さんは根来寺のホームページを見ると、根来寺に関わる科学的な調査研究や文化財の保存活用を目的とする「根来寺文化研究所」の理事兼所長をされている。

前置きが長くなり過ぎてしまい、肝心の本については後日書きます。

◎図書館の玄関脇の花壇