「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」

大木 毅著「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」岩波新書刊を読み終えた。著者とは初めての出会いで、専門はドイツ現代史、国際政治史とのことである。

この本の末尾「おわりに」に著者は「新書でスタンダードな独ソ戦通史を書くという大きな課題が、はたして達成されたかどうか。落ち着かない思いのまま、読者の審判を待つしだいである。」と書かれているが、一読者として言わせて貰えば充分以上にその目的は果たされていると感じている。

日本では第二次大戦の欧州の戦いはバトルオブブリテン(イギリス本土の戦い)やノルマンディー上陸作戦など映画化された内容を含め西部戦線がどうしても頭に浮かぶが、実際にナチスドイツを敗戦に追い込み戦局を決定付けたのは東部戦線、すなわち独ソ戦であった。

その凄まじさは独ソ戦での死者数のデータが示している。

ソ連(当時の人口18800万人)、戦闘員866~1140万人、民間人450~1000万人、他に疫病や飢餓800~900万人

・ドイツ(当時の人口6930万人)、戦闘員444~531万人、民間人150~300万人、但し西部戦線の分も含む

1941年6月22日ナチスドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻した。ナチス指導者はこの戦争を人種に優れたゲルマン民族が劣等人種スラブ人を奴隷化、ドイツの東方に植民地帝国を築くという構想を持ち「通常戦争」とは別の「収奪戦争」「絶滅戦争」を遂行した。

これに対するソ連は「大祖国戦争」として敵を滅ぼす「聖戦」の名のもとに報復を正当化、国際法を無視した行動がエスカレートしていき、両軍の残虐行為は1945年のドイツ降伏まで続くことになる。

著者の経歴に防衛省防衛研究所講師というのが書かれてあるが、戦争の経過の記述をみるとなるほどと思わせるものがある。

ソ連の指導者スターリンによる軍上層部の粛清により弱体化していた体制や、奇襲はあり得ないとの判断ミスに助けられ、ドイツは奇襲電撃戦でモスクワ近郊まで迫ったもののスターリングラード攻防戦を転換点として、冬将軍にも後押しされソ連の反転攻勢が始まる。

一連の攻防を記述するなかでドイツ軍とソ連軍を以下のように著者がみているのがとても興味深い。

『作戦・戦術次元ではソ連軍に優越していたドイツ軍であったが、戦略に沿ったかたちで作戦を配置するということはついにできなかった。ドイツ軍指導部には作戦次元の勝利を積み重ねていくことで、戦争の勝利につなげるとの発想しかなかったのだ。したがって、ソ連軍は、人的・物的資源といったリソース面のみならず用兵思想という戦争のソフトウェアにおいても、優位に立っていたのである。』

ナチスドイツが東方に植民地帝国を築く構想を持っていたにせよ、西方に、屈服しない英国と支援する米国を控え、なぜ同時二正面作戦をする気になったのかが私の最大の疑問なのだが、著者は逆に、ドイツが西と対峙している間にソ連から背後をを衝かれることを危惧し、この際この脅威を先手を打って排除しようとしたとして、その裏にはソ連軍を質量とも過小評価していたことがあると書いている。

(日本も中国と戦いながら米国と開戦するという愚を犯したが、日独の同盟国がほぼ同時期に似たような誤ちをおかしたことになる)

考えてみると現在世界の危機となっているウクライナパレスチナの両方ともさかのぼればこの独ソ戦につながるところがある。

ウクライナは最初にドイツが侵攻し、次にソ連が反攻する回廊となり大きな痛手となると共に長くソ連の影響力のもとになった。イスラエルナチスドイツ及びロシア(ソ連)双方の迫害を受けたユダヤ人が大戦後に建国した国である。

何れにせよ内容が濃く偏りのない良い本を読ませて貰った気がしている。

🔘今日の一句

 

朝ぼらけ冬の帽子の被り初め

 

🔘施設屋上庭園のペンタス