「織田家臣団の謎」

菊地浩之著「織田家臣団の謎」角川選書 を読み終えた。著者は別に「徳川家臣団の謎」という本も出されているらしいが、専門は企業集団や系列の研究など経済学にあるらしい。

そのためこの本の中には従来の定説とは違った見解をされている箇所がかなりあり、一応の文献なども示されるが飛躍と思われる箇所もあり、いわばこの本は歴史学と小説との中間に位置するものであるかもしれない。

織田信長の青年期・尾張国統一から天下布武へ更に本能寺の変に至るまでの足跡を追いかけ、人材戦略の「能力主義」「実力者主義」が世間に定着しているほどではなく地域主義的で譜代家臣重視であったことを解明しようとすることが主題になっている。

そのなかで何点かの歴史上の事件にまつわる解釈について従来とは違った見方を提示している。ただその何れもが歴史研究者ではないためか、現時点では史料の提示が少ないままでありこの点がこの本の価値を下げているようで残念である。

★著者独自の見解がみられる項目

・信長の守り役で先代からの老臣・平手政秀は信長の乱暴な振る舞いを諫言するため自害したとされるが、平手は信長の主家である守護代・清須織田家と折り合いが悪く自身が家老の間は信長の動員能力に甚大な影響が出るとの自責の念から自刃を選んだ。

今川義元桶狭間に破った一戦は、もし義元が三河まで進出すれば松平家にとって以後使い殺しが継続する絶望的な事態でありこれを阻止するために松平と織田が結託して義元を謀殺したクーデターである。

織田信長時代の後期俗に柴田勝家羽柴秀吉などの6人の重臣が方面軍司令官と呼ぶべき存在があった。その一人明智光秀(当時67歳とする説が有力)は年齢のこともあり嫡子に家督を譲ろうとしたが、その地位である近畿管領は光秀個人の力量に与えたものとして許されず、明智家の未来に絶望した光秀が家を守るために本能寺の変を引き起こした。また光秀の軍団内には尾張出身者が殆んどおらずクーデター実行に好都合であった。

🔘今日の一句

 

落ち葉踏み葉色の違い音で聴く

 

🔘施設の庭のコンギク(紺菊)