中断中のひとりごと⑳蒲生(がもう)郡でのゴルフと蒲生氏

昨日は近所のゴルフ好き同年代4人で滋賀県蒲生(がもう)郡竜王町にあるゴルフ場へ、およそ約100Kmの距離をいとわず 出掛けてきた。
旧国名でいくと、河内、摂津、山城、近江と4ヶ国をまたにかけた遠征行である。

暑くもなく寒くもない天気に恵まれ、ゴルフ場も秋の湖東の景色が素晴らしかったが、スコアーは47、46で目標に4打未達、パター、ショット共に色々なミスを繰り返したが、終盤近くになってミスの原因らしきものの手掛かりがつかめたような感触があり、少し救いになった。
明日素振りで確認しようと考えながら帰ってきた。

蒲生郡は琵琶湖の東南部に当たり織田信長が築いた安土城跡にも程近い、色々な歴史を感じさせる地域だが、特に蒲生の地名から、この地に生まれた戦国武将・蒲生氏郷(がもううじさと)を思い浮かべることが出来る。

蒲生氏郷は南近江地域を支配した戦国大名・佐々木氏の重臣領主の子として、蒲生・日野に生まれ、佐々木氏が織田信長に滅ぼされると信長に属した。

信長は若き氏郷の才を見込んで娘婿として引き立て、本能寺の変の折には蒲生一統は光秀の誘いを撥ね付け、織田家の財産、家族の保護に力を尽くしたと言われる。

その後秀吉の下で重きを置かれ、会津若松90万石を領して伊達政宗の監視と奥州仕置きを管轄する。
後に、氏郷は伊達政宗一揆扇動等の謀叛を秀吉に告発するなどして激しく対立することとなる。

氏郷はキリシタン大名の先駈けとも言え、洗礼名レオンを表題にした、歴史小説家・安部龍太郎さんの作品「レオン氏郷」がある。
また、氏郷の正室となった織田信長の娘を描いた同じく歴史小説家・葉室麟さんの「冬姫」も有名である。

蒲生家は氏郷死後にお家騒動、家臣抗争など曲折があるが、後継の秀行やその子達も早世が続いて伊予(愛媛県)松山藩主・忠知(ただとも)の時代に断絶する。


関ヶ原で奮戦した、石田三成重臣で有名な島左近と並ぶ、 蒲生郷舎(がもうさといえ)は元、蒲生氏郷の家臣と伝わる。

琵琶湖東南部の山々と秋模様のゴルフ場
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