英雄たちの選択「暴れん坊公家 平安朝を救う~藤原隆家 刀伊の入寇事件」

日本への外敵侵略事件はなんといっても知られているのは鎌倉時代モンゴル族元王朝による元寇であろう。

しかし平安時代の中期・寛仁3年(1019)、満州女真族(じょしんぞく)が対馬壱岐、九州を襲った「刀伊入寇(といにゅうこう)」について知る人は少ない。

聞き慣れない「刀伊」とは中国東北部(満州)を中心に居住して半農・半狩猟牧畜を行う女真族のことで後に中国で、「金」や「清」を建国支配する。

また「刀伊」は東に住む蛮族・東夷(とうい)の朝鮮語の音を当てて成立した言葉で、「寇」とは外敵のことであり入寇で外敵侵入になる。

私が初めてこの事件のことを知ったのは10年位前に作家・葉室麟さんの小説「刀伊入寇 藤原隆家の闘い」を読んでからで、図書館で見慣れない文字に牽かれて偶然出逢ったものである。

NHKの歴史番組「英雄たちの選択」で「暴れん坊公家 平安朝を救う~藤原隆家 刀伊入寇事件~」としてこの事件が取り上げられることを知り録画ようやく観終えた。

中納言藤原隆家は有名な関白・藤原道長の甥に当たり当時から公家では稀な武闘派であったが、父の死後、叔父道長との政争に敗れ、自らの眼病治療も兼ねて大宰府に赴任する。

太宰権帥(だざいのごんのそち)として在任中に発生したのが「刀伊入寇」で、公家でありながら九州の武家や都から伴って来た自家の子飼い郎党を率いて約3000人といわれる刀伊軍を迎え撃ち撃退に成功する。

番組では刀伊を迎え撃つに当たり

①水際で迎え撃つ

②古くからの要害を利用しての籠城防御

のどちらを選択するのが得策かが出席者が問い掛けられた。

このような場合私見では、歴史を紐解くと海上から上陸を目指す敵を迎え撃つのは水際が最も有効な策であり、敵が上陸して体制を整える前に叩かなければならない。

隆家も実際に水際まで自ら出陣し敵を撃退した。

🔘話は変わるが、田中角栄元首相が中国の周恩来元首相と対峙した昭和47年(1972)の「日中国交正常化交渉」で周氏が「中国はこれまで一度も日本を侵略したことがない」と言った際、すかさず田中角栄氏が「元寇があります」と反論し、中国側が田中氏の日中の歴史を理解していることに好感を持ったとの有名な話がある。

このときに田中氏が「刀伊入寇」を知り、元寇に加えて反論していたらより効果的であったに違いない。

🔘今日の一句

 

雲間より光突き刺す秋の海

 

🔘施設介護棟屋上庭園、ネメシアの仲間と思われる。