「現代語訳・信長公記」太田牛一著、中川太古訳 (株)KADOKAWA刊を読み終えた。
著者の太田牛一は織田信長の側近家臣で慶長15年頃(1610)にこれを著したとされ現時点での評価では、私が講義を受けている笠谷教授を始め、織田信長一代を同時代人が詳細に記録した一級史料として評価する歴史研究者が多い。
太田牛一は和泉守に任官、うしかず、ぎゅういち、ごいち、と三通りの呼び方(解釈)がある。
生誕から本能寺の変まで側近から見た織田信長の生きざまがリアルに描かれており、また著者が信長に向ける尊敬の心情が随所に見られる。
信長の生涯は戦いの連続で落ち着く暇もなく戦い続けたことがよくわかるがこのモチベーション、精神力こそ時代を変革した根源なのだろう。
また一部の歴史家から、信長は天皇や朝廷にとって替わる野心を持っていたという説があるが、少なくともこの本から得られるのは信長の天皇や朝廷に対する尊崇の念であり、この説は当たらないように思われる。
反面、一向一揆、荒木村重一族、比叡山延暦寺、浅井朝倉一門更には部下の佐久間信盛等、自らに反抗した者達への執拗な追及と報復など、英雄であるからこその負の側面も容赦なく描かれている。やはり戦国時代の価値観や倫理観と現代とは当然ながら大きく違うことを、今更ながら実感せざるを得ない。
最後の明智光秀謀叛まで注意深く読んだが本能寺の変の原因に繋がる記述は残念ながら見つからなかった。
近所の駐車場の隅で自力で咲いてる黄色い花