◎昨日は中之島の朝日新聞社屋での笠谷和比古教授の講座「織田信長の政権と本能寺の変」の5回目を受講。テーマは「織田信長と一向一揆」
織田信長の全生涯に於ける戦いのその半分は一向一揆との戦いに明け暮れたと言われるが、その一向一揆を対象に、親鸞が開き、蓮如の精力的な布教で拡がった浄土真宗本願寺派の門徒による宗教的共同体と信長の対決経過を学んだ。
この一揆の構成は、一般の農民、中小武士、国人(豪族層)まで含んだもので加賀(石川県)、三河(愛知県)、伊勢(三重県)、越前(福井県)、等々で活発化、最後に本山石山本願寺(大阪府)で信長と10年間戦い続け、天皇からの勅命講和に至る。
講義後の質問で私は本願寺が犠牲を省みず織田信長と戦い続けたのは本願寺側に世俗的な(宗教を超えて)権力を得る目的もあったのか?ということを聞いたのだが、
本願寺が戦い続けた理由としての答えは以下の通りだった。
・一向宗徒、一揆構成員は領主の統制は不要と考えていた。
・織田信長政権の体質に対する不信
・足利義昭からの働きかけ
笠谷教授は昨日のNHKBS TVの番組「英雄達の選択・家康の終活」に出演され、徳川家康晩年の行動の意味するものについてコメントされていた。
◎講義の前に以前から訪ねておきたかった中之島にある江戸時代、世界に先駈けた「堂島米市場跡」を見学してきた。
この米市場は淀屋が創ったとされ、周辺には各藩の蔵屋敷が建ち全国からの米が集積し、大阪繁栄の基礎となった。
余談だが大阪の歌には度々、雀が出てくる。
・都はるみさんが唄う〈大阪しぐれ〉
「♪噂並木の堂島、堂島すずめ♪」
・フランク永井さん〈大阪ろまん〉
「♪いちょうネグラの堂島すずめ♪」
・永井みゆきさん〈大阪すずめ〉
「♪今夜はどこまでとべるやら、あなたと私は大阪すずめ♪」
これらの大阪のすずめはこの堂島米市場の米を目当てに集まっていた雀が原点のモデルである。
「堂島米市場の跡」表示
でっかい米つぶ「一粒の光」モニュメント
「稲に遊ぶ子供」の像
堂島米市場を描いた絵
そう言えば最近あまり雀を見ていないな!