「日本の参謀本部」

大江志乃夫著「日本の参謀本部吉川弘文館 刊を読み終えた。

著者は日本の軍事史研究では著名なひとりで2009年に死去されているが、沢山の著作があり私も日本の軍事史にはかねてより興味があり「日露戦争軍事史的研究」などを読んできた。

この本は日本が戦争に突き進む近代史のなかで、その推進の中核となった陸軍参謀本部について、その成り立ちや組織を紐解きその構造の欠陥や問題点に迫ろうとしている。

内容が深く広い為、要約を語るのはなかなか難しいが私自身が今後の参考になると感じた点を挙げると、

・明治の日本陸軍はドイツに倣うことになり、ドイツから派遣されたメッケル少佐の指導のもとに軍隊が養成されていくが、メッケルは戦術は教えたものの戦略レベルでの指導は重視されなかった。この事が陸軍が戦術を重視して戦略への関心が薄れ視野狭窄の体質を身につけ、昭和初期日本陸軍にも受け継がれる。

日本陸軍を主導した山県有朋は政治とは一線を画した軍の在り方を模索し、これが参謀本部設置につながる。政治からの干渉を阻み逆に軍の政治への介入を制度的に担保することで、歴代の高級軍事官僚が政治への介入を常態化する素地になる。

・明治の軍隊は当初防衛軍として発足しその後外征軍に変容する。日清日露戦争で勝利したことで外征軍としての性格が決定していき、相次ぐ軍拡により軍の組織や権限の拡大が図られていく。その結果として政治的な圧力組織となり、政治が軍の影響下に置かれるような事態が頻繁に起こる。

満州事変により日本の一貫した課題であった中国問題の解決が一段と困難になり足枷になっていく。これに加えて対英米蘭戦争を始める戦争の時代、戦争相手国の日本軍の予測を上回る高い抗戦能力の前に、日本軍は中国戦線、西太平洋戦線でも敗北を重ねる。

参謀本部でも作戦立案・作戦指導の内容と方針をめぐる内部調整の失敗、戦争指導部の決断力不足、人事の頽廃などの問題が噴出、戦争指導部自体が持つ矛盾や課題が日本の敗戦に拍車をかけた。

🔘今日の一句

 

駅ナカの珈琲揺れて秋の旅

 

🔘介護棟の屋上庭園、バラの一種ロサ・ダマスケナのようにもみえるが?