「幕僚たちの真珠湾」①

波多野澄雄著「幕僚たちの真珠湾吉川弘文館 刊を読み終えた。

図書館で借りた本なので書き込みが出来ないため、通常気になった箇所には付箋を貼って後でその部分を読み返して剥がすのを常としているが、この本はその付箋の数が41と近来にない新記録で、読み直すにも時間がかかりそれだけ私にとって学ぶことが多かった本といえる。

この本の表題の真珠湾とはもちろんハワイ真珠湾であり日米開戦を表している。また幕僚とは当時の日本陸軍の中枢、陸軍省軍務局などの指導者スタッフ、陸軍参謀本部作戦部、情報部などの指導者スタッフを表し全て軍人である。

ちなみに陸軍省は軍を編成し維持管理する軍政機関であり、参謀本部は軍を指揮運用するための軍令(統帥)機関で、その運用は一般国務の外とされ参謀総長天皇に直隷補佐するものとされていた。

また陸軍省の管轄である軍政にあっても統帥や編制に関係するものは内閣の閣議に付すことなく天皇の軍事大権として実行出来た。

端的に云うと総理大臣を長とする政治が軍をコントロール出来ない訳である。

これらが昭和陸軍の問題点として指摘される「統帥権(とうすいけん)」であり、この本は政治から超越したこの大権を実質運用した陸軍中枢の幕僚が、日米開戦に向けてどのように考え動いたかを見つめ、なぜ誤ったかについて迫ろうとしている。

日中戦争の勃発に伴い昭和12年(1937)12月戦時組織・大本営が設置され陸海軍の参謀本部(海軍は軍令部)の大半の職員と陸軍省海軍省の主要部局の課長以上が席を置き統帥と軍政の緊密な連携、陸海軍の協同一致を目指した。

著者は日清日露戦争時の大本営と比較し、堅牢な「統帥」の壁、陸海軍の国防感や戦略感の相違は結局克服出来なかったと断じている。

(日清日露戦争時の大本営明治維新をくぐった生残りがリーダーシップを発揮して、政治と軍事、陸軍と海軍の調整を担った)

連合国イギリスのチャーチルのような政治と軍事をまたぎ、軍内部の統一も併せてリーダーシップを発揮出来るような仕組みに全くなっていなかったと云えるのだろう。

本書は1939年9月のヨーロッパ戦争勃発から1941年12月太平洋戦争勃発迄の陸軍中央幕僚たちの行動が取り上げられるが、既に中国との本格的戦争に入っていたこの時期、多くの国策決定は「戦争準備」という軍事的要素との関連が深く「統帥権」の運用を担う作戦幕僚たちの情勢判断や政策構想が日本の進路にとって決定的な意味を持っていたことが明らかになる。

以下次回

🔘一日一句

 

身構えし地下の出口に涼し

 

🔘近所の花壇、暑い中イワダレソウが一面に小さな花を咲かせている。