司馬遼太郎さんの随筆⑤・統帥権(とうすいけん)

昭和史家や昭和史に造詣の深い作家、評論家が日中戦争や太平洋戦争を論じる場合善かれ悪しかれ必ずその対象の一端が統帥権に当てられる。

統帥権とは軍隊を動かす権限のことで、明治憲法下でプロシア(ドイツ)憲法に倣って規定された条項では、この軍隊を動かす権は三権(司法、立法、行政)から独立して天皇に直属し、その機関は陸軍の参謀本部と海軍の軍令部であった。

例えば英国は首相が軍を動かす最高指揮を取るが明治憲法下では首相は手をふれることが出来ず、内閣に直属している陸軍大臣海軍大臣も軍内の行政権を持つだけで統帥権とは切り離されていた。

このようなシステムにしたのは明治初期、士族反乱が頻発した際、一々行政府と調整したことで軍の活動に遅れを生じ、これに危機感を持った当時の陸軍側の意向が強く働いた為と云われる。

司馬さんは「明治という国家」のなかで、以下のように語り、「統帥権の独立」が敗戦への大きな要因であったことを主張されている。

明治憲法下でも天皇という神聖空間は哲学的な空であり、もし参謀本部という統帥府が理性を失い内閣に相談せずに他国を侵略したとしても首相はなすすべがない。

・ドイツの場合皇帝に能動性があるが、ウイルヘルム二世が参謀総長と相謀らって第一次世界大戦を引き起こし滅亡した。

・明治時代いっぱいは明治国家を作ったひとびとが生きていて、亀裂しそうなこの箇所を肉体と精神でふさいでいた。伊藤博文たちもまさか三代目の昭和前期になってこの箇所に大穴があき、ついに憲法の不備によって国が滅びるとは思いもしなかっただろう。

・1928年の張作霖爆殺、1931年の満州事変も天皇の知らざるところだった。昭和になって、統帥の府は、亡国への伏魔殿のようになった。

🔘なぜ無謀とも云える太平洋戦争に至ったかは永年の疑問であるが、その観点からも傾聴すべき重要なものの見方である。

組織を考えるとエンジンやアクセルに相当するものばかりだと暴走が始まる。組織にはブレーキ役が必須であり、軍の場合は圧倒的な力を持つだけに極めて難しい。政治がこれに当たるのだろうが余程の覚悟が伴うことと、国民の支持が不可欠となる。

🔘今日の一句、スーパーで買ったさつま芋は小さめの食べやすい大きさが揃って袋に入っている。実際に栽培するとさつま芋は大小のばらつきが大きいが、粒の揃った芋以外はどうしているのだろうか。

 

粒揃い労苦偲ばる売り甘薯

 

🔘園芸サークルのフェンスで咲いているアサガオ、今頃咲くのは季節外れでおかしいと思い職員の方に聞くと「西洋アサガオヘブンリーブルー」という種らしく普通のアサガオと違い秋口にかけて咲くらしい。