『東アジアからみた「大化の改新」』

仁藤敦史著『東アジアからみた「大化の改新」』吉川弘文館 刊(歴史文化ライブラリー555)を読み終えた。著者は日本史の専門家で特に古代史について色々な著作がある。

よく知られているよう「大化の改新」とは飛鳥時代皇極天皇4年(645)中大兄皇子中臣鎌足等が当時実権を握っていた蘇我氏を滅ぼした「乙巳の変(いっしのへん)」を端緒に氏族制度を廃して天皇中心の律令国家体制を目指した改革である。

私自身は今までこの「大化の改新」を単なる内政問題とばかり思っていたが、この本は当時の中国(隋、唐)朝鮮半島(高句麗新羅百済)を含んだ東アジア情勢に着目しこの情勢変化に対応した日本・倭国の動きが「大化の改新」であることを説明していて目からウロコの感じがした。

この本に依って得られた私自身の新しい知見は以下の通りである。

・当時の大国・唐の外交は北方、西方、東方があり、北方、西方を安定化させた640年以降その力点が東方に向けられることになり朝鮮半島諸国と倭国はこれに対抗するため権力集中を求める政変が必然化した。

倭国に於いては「乙巳の変」「大化の改新」である。

・当時の倭国新羅百済に対して「大国」として礼的優位を確保して先進文物の安定供給を確保しており、この維持が外交的な課題であった。この事を踏まえ倭国内では外交を巡る内部分裂があり最終的に唐・新羅に対する軍事対決路線が選択される。

・この結果が天智天皇2年(663)白村江(はくすきのえ)での戦いでの唐・新羅連合軍への大敗であり倭国は日本列島への侵略という危機に立たされる。

・この危機が天武天皇元年(672)壬申の乱(じんしんのらん・)を経て氏族的な枠組みが実質的に解体し律令制へ移行する大きな分水嶺になった。

🔘一日一句

 

木蔭にて女人佇む白き百合

 

🔘健康公園の花壇、ヒャクニチソウ(百日草)