「海軍戦争検討会議記録・太平洋戦争開戦の経緯」①

新名丈夫(しんみょうたけお)編「海軍戦争検討会議記録・太平洋戦争開戦の経緯」角川新書 を読み終えた。

先日垂水の街に出掛けた際NHKEテレNHK俳句」のテキストを買いに書店に寄ったところたまたま目について衝動的に買ってしまった。

一度蔵書を処分してから本は買わずに図書館で借りることに決めているが、私の長年の疑問「なぜ無謀な太平洋戦争を始めたのか」の答えに繋がりそうな気がしてまた禁を破ってしまった。

先ず編者の新名丈夫という名前に記憶があった。戦争中の昭和19年(1944)当時の東條英機首相の政策を「竹槍では戦えない」と痛烈に批判した記事を書いた新聞記者で、この記事のために陸軍に懲罰召集されたことで有名である。

元々この本は1976年に新名が所属した毎日新聞社から刊行されたものを新書化したもので、著名な海軍史研究家・戸髙一成(とだかかずしげ)氏が新書版のあとがきのなかでこの本・「海軍戦争検討会議」のことについて以下のように書かれている。

終戦時の海軍大臣・米内光政(よないみつまさ)は、公的な戦史編纂とは別に関係者による証言の収集と真摯な検討こそが必要であると考え、昭和20年12月22日から翌年1月22日にかけて、開戦に至った時期に重要な地位にあった人物による座談会を計画し計3回が実施された。

米内はこの記録資料の扱いについて「本当の歴史を残したい」と考えるところがありその副本一部を民間人・新名に託した。

新名は主要な関係者がこの世を去ったことを見届けこの資料を公刊する。

また戸髙さんは前後の事情や、当時としても集めることが困難であると思わせる重要人物がこの会議に揃っていることなどから、この会議の発端が昭和天皇の求めであった可能性があると書かれている。

この会議のなかを見ていくとその中心人物は明らかに最後の海軍大将・井上成美で、以下の新名さんの文章がその人となりを表している。

『大将こそは部内切っての反陸軍の闘将で、三国同盟に対しては、米内海相山本五十六次官、井上軍務局長のコンビで徹頭徹尾反対し暗殺のおどしをうけても屈しなかった。太平洋戦争にも反対、軍備の時代おくれをいい、大艦巨砲主義を排し、海軍の空軍化を主張した先駆者である。日米戦争で艦隊決戦はおこらず、基地争奪戦になることを予言した人、無類の硬骨漢であった』

前置きでつい力が入りすぎ字数が尽きてしまった。会議の要点は次回のブログにまわします。

🔘一日一句

 

夏の靴買い来て合わすシャツ若し

 

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