「歴史をうがつ眼」

推理小説作家・松本清張さんの歴史関係の講演や対談を文章化した「歴史をうがつ眼」中央公論新社刊を読み終えた。

「うがつ・穿つ」とは辞書を引くと(穴)をあける。掘る。突き抜けて進む。といった意味で松本清張さんらしい表現のように思われる。

内容は「日本の文化」と題した古代史に係わる講演録、「日本の歴史と日本人」と題する日本史全般の作家・司馬遼太郎さんとの対談録、「歴史をうがつ眼」と題した古代史の研究者・青木和夫さんとの対談録から構成されている。

やはり一番面白いと感じたのは司馬遼太郎さんとの対談で日本人はどこから来たのかに始まり、近代国家とは何かまで古代から近代までの日本史のさわりを語り合う形式になっている。

古代や近代史に関する議論は互いに噛み合って共感し合うような話が多いが、話が中世史に及ぶととたんに話が噛み合わなくなったり意見の食い違いがみられるのが面白い。

例えば戦国時代後期織田信長武田信玄上杉謙信等が京へ上ろうとすることについて松本さんは天皇からお墨付きを得ようとする行為だとみているが、司馬さんはこの頃の日本は天皇体制ではなくあくまでも室町将軍家の権威を借りて全国の守護地頭に命令するのがその願望であるとみているなどである。

客観的に見るとやはり古代と近現代は両者の論は拮抗しているが、中世については司馬さんの方に分が有るように読める。

松本さんはこの本の前書きに当たる「思考と提出ーー私を語る」で『私の書く「歴史」ものでは、古代史と現代史関係が多く、その中間が抜けている。人からよく訊かれることだが、これは「よく分からない」点に惹かれているからだろう。ーーー』

と述べられていることに多少関係しているのかも知れない。

何れにせよ松本清張さんが700とも云われる作品を遺しながら歴史に関心を持ち続けたことに驚くばかりである。

 

【海峡は地図より広く夏の潮】

 

🔘施設の庭に少しだけ、マツバウンランと思われる。