5月13日のこのブログで文藝春秋の記事「私の人生を決めた本」に関連して私の記憶にある本のことを書いた。
その時今まで読んできたものを思い出すなかで今も記憶に残り自分の糧にもなった文章もいくつか浮かんできたが、そのなかの一番はやはりこれだと思われる。
司馬遼太郎さんの作品のなかで新選組を題材にしたものが「燃えよ剣」と「新選組血風録」の二作品であり、この何れにも「油小路(あぶらのこうじ)事件」が出てくる。
油小路事件は、新選組幹部・伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が新選組を脱退し薩摩藩に加担して高台寺党を結成したため、新選組は伊東を暗殺して仲間をおびき寄せ壊滅させるためその遺骸を京の油小路に放置した。
遺骸引き取りに来た高台寺党7人を新選組多数が襲い、7人の内3人が闘死した。死んだのは藤堂平助、服部武雄、毛内監物で何れも逃れた4名と比べて抜群の剣の使い手であったと云われる。
「燃えよ剣」での私が最も記憶に残るこの場面の描写の一部、
『死んだのは奇妙なことにすべて一流の使い手であった。かれらは脱出しようとしても、剣がそれをゆるさなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵を斃し、死地へ死地へとその持ちぬしを追いこんでいった』
🔘若いときにこれを読んだのだが、強いものの方が先に死んでしまう事実があることに衝撃を受けた。
その後「強いものが残るのではなく環境に適応したものが残る」「革命は一流の人物が死んで二流三流の人物がその果実を得る」という言葉などを知り、特別な感慨を覚えたものである。
【朝凪に競い出でゆく漁り船】
🔘道路脇の斜面から顔を出すノイバラ、日経新聞の連載小説で陸奥宗光の青春を描いた「陥穽(かんせい)」を読んでいるがちょうど昨日、陸奥が医師の書生で住み込みを始め、ノイバラの根を薬研(やげん)で擂り潰す場面が出てきた。
漢方ではノイバラの根を乾燥したものを「営実(えいじつ)」といい利尿剤や下剤として用いるらしい。