強いものが生き残れない・新撰組「油小路の変」

「強いものが生き残るのではなく環境変化に対応出来たものが生き残る」ダーウイン本人が言ったかどうかはともかくも「進化論」をベースにした考えであることには間違いなくTVコマーシャルでも流れてくる。

これとは全く別の視点ながら、強いものが必ずしも生き残るのではないことを説明した事例がある。

幕末新撰組の歴史を解明した原点と言われるものが子母澤寛氏が著した「新撰組始末記」だが、まだ歴史の証人が生きている時期に聞き取りを主として取りまとめられたものである。

新撰組池田屋騒動を始め多くの争闘をくぐり抜けて来ているがその中の一つが「油小路の変」と呼ばれるものであり子母澤氏は生き残った人の手記や事件を実際に見た人の証言でこの争闘を説明している。

新撰組に途中入隊した伊東甲子太郎とその一派がその後薩摩に通じ高台寺党を結成して分派活動をしたため新撰組は伊東を暗殺、その死骸を京・油小路に放置して一派を誘いだし皆殺しを計画した事件である。

高台寺党は7名で死骸の引き取りに出向いたがこれを新撰組は40名余りで取り囲み、  7名の内3名は斬り死に、4名は逃げ延びた。

死亡した3名(服部武雄藤堂平助、毛内有之助)は何れも剣術の抜群の使い手、逃げ延びた4名はさほどの使い手ではないものばかりである。

この場面を司馬遼太郎氏は新撰組を描いた自作の「燃えよ剣」のなかで次のように表現している。

<死んだのは奇妙なことにすべて一流の使い手であった。かれらは脱出しようとしても、剣がそれをゆるさなかった。剣がひとりで動いてはつぎつぎと敵を斃し、死地へ死地へとその持ち主を追いこんで行った。>

この様なことは変革の時代にはよく見受けられ一流の人物が死んだ後、二流のものが  その果実を得る事がある。