私は現役時代全く歌やカラオケとは無縁で、子供時代からの音痴という自覚を引きずっていた。
それでも会社勤めをしていると逃げられずどうしてもカラオケを歌わなければいけないような局面があり、その為都はるみさんの「大阪しぐれ」を必死に練習して最後の切り札一枚にしていた。
歌の下手は相変わらずながら、リタイア後カラオケが苦にならなくなってからも先ず都はるみさんの「浮き草ぐらし」「千年の古都」「古都逍遙」などを練習するようになった。
作家の五木寛之さんは1932年の生まれなので私とは一回り以上の先輩になるが大作「青春の門」に代表されるその作品群は私の若い時代と共に在ったような気がして一時期夢中で読んだ気がする。
この度図書館でたまたま出会い借り出し読んだ「長い旅の始まり」東京書籍刊 はその五木寛之さんと都はるみさんの対談を取りまとめたものである。
一見全く縁が無いように見える二人だが図書館で平成15年発行のこの古い本を目にしたとき、その二人の共通項が直ぐに浮かんできて手に取ってしまった。
都はるみさんは京都西陣近くの生まれで、親の影響もあり演歌を目指して開花したが、ある日「ふつうのおばさんになりたい」と引退、時期を経てまた歌手に復帰された。
あまり知られてないかも知れないが歌手・藤圭子さんがデビューしたとき、これは演歌や艶歌ではなく間違いなく「怨歌」だと言ったのは五木寛之さんであった。
また歌謡界を扱った小説の「艶歌」「海峡物語」などは昔読んで今でも記憶に残っている。また「青春の門」の主人公の一人・織江を歌った山崎ハコさんの方言混じりの悲しい、本当に悲しい「織江の歌」は五木さんの作詞であり、歌謡界に特別縁の深い作家といえる。
また五木さんも作家生活の途中突然休筆宣言をして京都に引き籠られた。この本で知ったのだが7年働いて3年休みまた7年働いて3年同じ京都にジャーナリズムから退散、その後現在に至るまで復帰されている。
この二人が共通する土地・京都で歩き、対談したのをまとめたのがこの本だが平成3年(2003)の出版であり、都はるみさんは復帰して歌に再び情熱を傾けてい頃である。現在どうされているのか?
五木さんは老年期にさしかかられまだエッセイなどで活躍されている。
対談のなかで五木さんが都はるみさんに演歌のことを伝えている。
『演歌調と言われる演歌の特質というの"演ずる歌"と書くように、聴いているほうも、歌っているほうも、それをほんとに現実のこととして受け取っていないんです。ひとつの架空、フィクションをきれいに演じて見せているという、両方の了解の上に、それに酔うというものでしょう。』
私もカラオケ演歌を指導されているような気がした。
【意に染まぬ 心見透かす 朝の冷え】
🔘施設の庭、タチバナモドキに実が成ってきた。