「開戦 太平洋戦争・日中知られざる攻防」

NHKのBS1スペシャル「完全版 開戦 太平洋戦争~日中知られざる攻防」を録画していたのをようやく観ることが出来た。

1941年12月8日、ハワイ真珠湾の米国海軍基地を奇襲攻撃することで始まった太平洋戦争だが、日本はそれ以前、1937年7月7日北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で起こった偶発的な衝突をきっかけに日中戦争に突入、大陸で戦っていた。

中国のこの当時の指導者は、辛亥革命(しんがいかくめい)を成功させた孫文の弟子とも云える国民党の蒋介石(しょうかいせき)であった。
蒋介石は軍事的に劣勢のなかで中国の広い国土を頼んで長期持久戦を志向しており、日本は北京、上海、南京等の重要都市は占領するも点と線を辛うじて押さえているに過ぎず、泥沼状態から抜けきれず苦慮していた。

このドキュメンタリーは今まで日米の関係のみに焦点が当たっていた太平洋戦争の開戦に至る道を、蒋介石の残した日記など新しい史料や各国史料を発掘し、蒋介石が外交戦略を駆使して連合国に働きかけを行い、中国への支援や米国の参戦を水面下で促し、それが日米開戦の決定的要因の一つとなったことが説明される。

また日本側も日中和平についてその必要性について認識しながら、和平の機会を自ら逃して破滅への道を歩む様が史料と共に語られ、なんとも云えないやるせない思いがこみ上げてくる。

日本が戦場での勝利を政治的な勝利に繋ぐことが出来なかったと語る歴史研究者の言葉は重く厳しい。

蒋介石の膨大な日記は遺族の意向でコピーや撮影が許されず、ある研究者が10年にわたって筆写し読み解いたというエピソードは、職業的使命というものを感じさせ観ているこちらが背筋を伸ばさざるを得ない気がした。

1941年12月8日、中華民国の臨時首都・重慶(当時首都の南京は日本軍により陥落)にいた蒋介石は日本軍の真珠湾攻撃のニュースを聞いて日記にはこう記されているとのことである。
『本日 我が国の抗日戦略の成果は頂点に達した』

奇襲攻撃を受けた米国太平洋艦隊が壊滅しても、米国が参戦すればこの先戦争に勝てると確信していたことが分かる。
当時の英国首相チャーチルも、この真珠湾攻撃で米国が参戦することで連合国側の勝利が決定的になると以前に読んだ「第二次大戦回顧録」に書いており、先の見通せる指導者は日米開戦がどういう結末を迎えるかがハッキリと見えていたことが分かる。

先が見えていなかったのは日本の指導者だけだろうか。

古来から戦略、戦術の要諦の一つが【力が分散する二正面作戦を避け、全力を挙げて敵の分力を撃つ】ことにある。

なぜ日本は中国と米国を同時に相手とするようになったのか、私自身の永年の疑問である。

◎この寒いなか咲いている花は咲いているだけで凛として見える。



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