アフガニスタンとアレクサンダー大王

南アジア・アフガニスタンから米軍が撤退しイスラム主義・タリバンが政権を掌握しつつあるニュースが頻繁に流れてくる。
ニューヨーク9,11後の米国の20年間はいったい何だったのだろうか。

住民が国外脱出に向けて空港に殺到する姿はベトナムサイゴン(現在のホーチミン)陥落(1975)のニュース映像を再び見るようで言葉が出ない。
当時ボートピープルという言葉は海上に逃れたベトナム難民を表し、日本にも多くの人々がたどり着き私の住む街でも暮らして居られる。

また放送局の女性アナウンサーがSNSで「助けて」と訴える画像は日本の日常と余りに違いすぎて一瞬思考が止まってしまった。

大統領が札束と共に国外に脱出したという情報が流れており事実かどうかは未だ不確定だが、政権や軍の崩壊の原因のひとつが腐敗にあるという見方は何ともやりきれない。

外国勢力が他国に介入統治することの難しさは歴史に明らかだが、これに宗教や部族的慣習なども入り組み旧ソ連もこの国に侵攻後撤退(1979~1989)に追い込まれている。

民放のBSで放映され録画して直近に観た映画「ローン・サバイバー」はこのアフガニスタンタリバンと戦うアメリカ海軍特殊部隊員を描いたもので「アフガン、たった一人の生還」という実話本が原作らしい。

この映画はタリバン指導者の暗殺作戦が失敗に終わり、敵に追われて部隊のたったひとりが重傷を負いながら生還する筋立てだが、この兵士をタリバンからかくまうのが民族の掟「敵から追われているものを命をかけて守れ」を持つパシュトウーン人の部族で、この辺りからも現地の複雑な状況が読み取れる。

このアフガニスタンに関する色々な情報からついアレクサンダー大王を思い起こしてしまった。
紀元前4世紀、ギリシアマケドニア王アレクサンダーはこのアフガニスタンを含むガンジス川に至るまでの広大な地域を制覇した。
これによって東西が世界レベルで交流しその後の文明の発展に大きく貢献した。

アレクサンダーは現在のアフガニスタン第二の都市カンダハルを自身の名に由来のアレクサンドリアと名付け、さらに首都カブールにも足跡を残している。

アレクサンダー大王については作家塩野七生(しおのななみ)さんの著作があり次の機会を利用して書いておきたい。

◎これはダリアの仲間のような気がする。
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