作家中村彰彦氏の「武士たちの作法・戦国から幕末へ」光文社刊を読み終えた。
著者の「あとがき」を読むとが歴史小説を書くために集めた史料をもとにした歴史エッセイ・史論集との事である。
中村氏は会津藩祖・保科正之を題材にした作品を多く手掛けられ、その縁で会津人を主人公にした作品や保科正之が後見役になった加賀前田家に関する著作、更に新撰組など幕末の幕府方に殉じた人物の作品も多い。
私は氏の作品を通じて徳川家光の異母弟で会津藩の初代藩主となり兄家光死去後は遺言で4代家綱の後見役として幕府を支えた保科(松平)正之と言う人物を知ることになったし、作品内容が史実に裏打ちされて本当に読むに価するものが多いと感じている。
然し氏はこの本の「あとがき」に書かれているように著作の縁で栃木県生まれにも関わらず会津史談会や、会津史学会に入会されており、どうしても幕末期の会津藩対長州藩の因縁から、長州藩出身者や、奇兵隊等の長州諸隊に対して辛辣な評価が多い。
この本のなかでも、幕府方奥羽列藩同盟と直接対峙した奥羽鎮撫総督府参謀で長州奇兵隊出身の世良修蔵について厳しい非難が浴びせられている。
世良は余りのひどい行状もあり仙台伊達藩士に斬殺され、今日に至るまで非難が絶えず「奇兵隊で最も悪名高い人物」とも言われ、ある面やむを得ないと思われるが、奇兵隊全般や、長州藩への評価については山口県出身者として納得できない面もある。
会津と長州の遺恨もそろそろ終わりにした方がいいのではと思うものの、双方の郷土愛から来る思い入れは150年位ではなかなかなくなりそうにないのだろう。
私見だが、日本の歴史を概観すると、東国と西国の対立が長く奥深く存在しており薩摩長州と奥羽、会津の戊辰戦争もある意味この延長線上にあるとも言ってよく、遺恨と地域対立が深いところで沈澱しているのかも知れない。
今年初めて植えたサツマイモ、茎や葉は順調そうに見えるが果たして地中では?、初めてなので不安が一杯。