坂の上の雲②伊予松山藩

坂の上の雲」の主人公とも云える明治の三人、秋山好古、真之兄弟と正岡子規は何れも伊予国(愛媛県)松山藩の出身である。

正岡子規がふるさとを詠んだ私も大好きな一句。

 

【春や昔十五万石の城下かな】

 

伊予松山藩は久松松平家といわれ、徳川家康の生母・於大の方(伝通院)が松平家を離縁の後再嫁した久松家が源流であり、現在の大河ドラマ「どうする家康」では俳優・リリー・フランキーさんがその再婚相手で当主の久松佐渡を演じている。

幕末、この伊予松山藩はわが長州藩と大きな因縁があった。

長州藩最大の危機第二次長州征伐・四境戦争は、瀬戸内海からの大島口、山陽道からの芸州口、山陰道からの石州口、関門海峡からの小倉口の四境から攻め寄せる幕府軍との戦いである。

幕府はこの内大島口の受け持ちを四国諸藩に下令したが最終的に応じたのは親藩伊予松山藩のみで、これに幕府歩兵隊を加えた幕軍が四境の先陣を切って周防大島に攻めかけ大島を一時的に占領した。

このとき松山藩兵と幕府歩兵隊は島で徹底した掠奪暴行を行ったとされ、長州藩は戦略的見地から当初この島を放棄する計画であったが、幕軍の非道が伝わると島奪還に作戦変更して、高杉晋作の海軍や第二奇兵隊などの活躍で幕軍を追い払った。

この時の松山藩などの非道は全国に伝わりこの後長州藩が各方面で力戦奮闘勝利する原動力にもなった。

この事があり明治新政府松山藩を見る目は極めて厳しかったとされるが、このいわば大逆風のなかで、秋山好古、真之兄弟と正岡子規の三人は成人しそれぞれの道を歩んで大成したわけであり、同時代の藩閥に守られた人々より余程価値のある人生と云えるのかもしれない。

 

🔘今朝は雨あがりの暖かい朝で、いつもの体操をしようとベランダから旗振り山方向を見ると朝靄(もや)が立ち上がり幻想的な景色を見ることが出来た。春は間近い。

 

【旗振りに靄(もや)たなびきて春よ来い】