寒山・拾得(かんざん・じっとく)

6月19日のこの日記に、娘が持参したお土産の羊羮から森鴎外の小説「高瀬舟」のことを書いたが、その時探し出した鴎外の小説集には「高瀬舟」のすぐ次に、これも短編の「寒山拾得」が載せられており、これも何かの縁かと思い読み直した。

李香蘭山口淑子さんは昭和の時代に何かと話題になった人だがこの人の持ち歌に「蘇州夜曲」がありその一節〈♪鐘が鳴ります寒山寺♪〉はその歌声と共に昭和世代には馴染みがある。

中国江蘇省蘇州市にある寒山寺は、風狂の人・寒山がこの地に庵を結んだことや、寒山、拾得2人がこの地を訪れたという伝承により「寒山寺」と名付けられた由来があり、古い詩にも詠われた「鐘の音」が古来から有名で、日本からの観光客も多く私も訪れた事のある懐かしい寺である。

寒山と拾得は中国唐の時代の高僧とされるが、総髪で僧の姿はしておらず、拾得は師の豊千(ぶかん)に拾われて拾得を称し師にゆかりの寺で食事係をしており、近くの寒山と呼ばれた山の洞窟に住む寒山に、食物の残りを分け与え交遊したと伝わる。
このゆかりの寺は浙江省台州市国清寺で3人は国清三聖または三賢と呼ばれる。

寒山と拾得は古来、水墨山水画などの格好のテーマで、雪舟若冲、蕪村などそうそうたる画家による多くの「寒山拾得図」が描かれており何れもその特異な興味ある姿を伝えている。

森鴎外の小説「寒山拾得」は、端的に云えば地方高官が師の豊千と知り合ったことから国清寺を訪ねて寒山と拾得に会うことになり、自分の理解を越えた寒山と拾得の振る舞いに立ち往生してしまう話なのだが、読み手の思い一つで色々な想像に導かれる不思議な短編になっている。

森鴎外島根県津和野の藩医家の生まれで、陸軍軍医総監まで出世したエリートだが、死に臨んでは一切の栄誉を排し「余は石見(島根県)人、森林太郎(本名)として死せんと欲すと」遺言に書いた。
私はこの事と「寒山拾得」に書かれていることが何かしら関係があるような気がしてならないのだが。

近くの図書館の玄関脇の花壇
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