長州藩と会津藩

私は企業で永年働いていたもので、全く歴史研究者ではないが、歴史には子供の頃から興味があり、リタイア後、生まれ故郷等の歴史を探訪するための貴重な史料を得られる事などから「山口県地方史学会」に入会させて貰い今日迄来ている。

この会は年2回「山口県地方史研究」jと題した機関誌が発行されることになっており最新第123号が手元に送られてきた。

この中の「調査と探求」の分野で「長州藩会津藩」と題する小山良昌氏の小論文が掲載されており面白く読ませて頂いた。

会津と長州と言えば幕末から明治維新期を通じ、常に反対勢力として向き合って来たが、世間では白虎隊等の物語をベースに、会津の正義、長州の悪という見方が一般に信じられている。
小山氏は、幕末「禁門の変」に於ける公家の日記、戊辰戦争時の東北地方住民の聞き書き、従軍した英国公使館付き外科医の報告書等から会津側にも相当な非道な振る舞いがあったことを指摘している。

また会津公・松平容保会津戦争後の振る舞いや無益な戦に導いた事に対しても、武士以外の領民一般が極めて冷やかで、時を移さず藩政への不満から大一揆が起こったことを挙げている。

又、よく問題視される戊辰戦争後の会津藩の斗南への移住についても、史実は旧領地・猪苗代との二者択一を新政府が提案し、選択したのは会津側自身としている。

今に至る見方が広まった背景を会津出身の小説家の名を挙げておられるが、一般に小説に書かれていることがあたかも事実のように受け取られることは、特に歴史の分野でとても多く見られる事であり、書く方も読む方も心しておかなければならないと思う。

争いに勝者があり敗者があることから、各々の立場優先で歴史を語ると往々にして行き違いが生じてしまうが、一方が全て悪で一方が全て善であることはあり得無い。
例えば幕末京都に於ける新撰組の活躍で知られる大事件「池田屋騒動」も、会津側と長州側とでは見方が180度違う事などその代表例だろう。

事実の積み重ねでお互いの理解を深めて行くことが何より大切な事と思われる。

歩きの途中、トウモロコシ畑
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